忠告と批判とほめ言葉、受け止め方の注意点

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インターネット、中でもソーシャルメディアの普及で創り手側と受け手側のハードルが低くなり、情報のやり取りが容易になった。これ自身は決して悪い事では無い。けれど、これまでできなかったことができるようになると、当然弊害も生じてくる。その一つが今件指摘されている話。元々この類は口頭レベルでもありえたものだけど、ネット経由で不特定多数の人からなされる可能性が出てくると、その体現化は非常に高い確率となる。

距離を置く。この方法は色々。文筆家などにおける読者の意見なら「見なかったことにしよう」が一番だし、「こんな意見もあるのね」程度で流してしまうのも。昔からのネットスラングで受け流すことを意味する「ハイハイワロスワロス」とか「お前の中ではな」は、実のところ賢い手法の明確な表現だったわけだ(無論、自分にとって価値のある内容ならば真摯に受け止め、今後の改善に役立てるべきだけど)。


褒めるのは難しい。感想文でも大抵はネガティブな話。ポジティブなエネルギーはなかなか言葉にできないけれど、ネガティブなものは容易に体現化できる。また、人は褒める言葉をあまり持っていないことが多いから、その表現が単純化してしまい、こんなものでいいのかとしり込みしてしまう。単におべっか、お世辞を語っているだけと思われてしまわないかと、躊躇してしまう。読書感想文が苦手な人は、特にその傾向が強い。

純粋に褒めることとお世辞との違いの部分は大いに納得。褒める場合はその理由がある。お世辞はまず相手を持ち上げるのが一義となる。


ちょうど同時期に同じような話が挙がっていたので、合わせて。創作系の人達には特になるほど感を覚えさせられるに違いない。当方も記事周りで似たような体験をグロス単位でしたことがある。キャラクタのセリフとかは関係ないけどね。スルー力ってのはホント、大切なんだろうなあ、と。「作家側はそれを誠実に全部受け止める必要はない。作家の仕事は感想を聞くことじゃなくて次回作作ることなんだから」の部分には、思わずはっとさせられた。そうだよね。なすべきことを違えてはいけないのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月13日 07:58に書いた記事です。

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