支援物資の運び入れは
— 闇のタッパたん(15歳清純派) (@tappatan) 2016年4月17日
『迅速に』
『大量に』
がとても重要なので、貧乏人が稼ぎから購入した程度のショボい量だと扱いに困ります。
あんた等がやってる事、あんた等の虚栄心やら承認欲求を満たす以外の役には立ってませんよ。
募金にした方が良い理由をもう一つ。
— 闇のタッパたん(15歳清純派) (@tappatan) 2016年4月17日
『大手に任せれば支援物資として大量に買い付けるので単価を安く出来て、その分多く購入出来るから』
そこいらの貧乏人がドラッグストアとかドンキで1個100円で買うものを、大手なら30円で買えるんですよ。
なので、貧乏人はとにかく募金しろ!!
マジで支援物資は企業等のノウハウ持ちに任せて。
— 闇のタッパたん(15歳清純派) (@tappatan) 2016年4月17日
彼等はノウハウだけではなくコネもルートも手段も持ってます。
札束をメーカーに叩きつけて商品を一気に買い付け
『種類別大きさ別用途別』
に予め分けて梱包して被災地に迅速に一気に運びます。
被災地は箱を開ける位で済むんです。
民間人にそれだけの事が出来ますか?
— 闇のタッパたん(15歳清純派) (@tappatan) 2016年4月17日
被災地に仕分け等の負担を掛けずにその虚栄心と承認欲求を満たせないなら、大人しく金を送りましょう。
先日もちょっと触れた、九州地方の地震に絡んだ救援・支援物資周りの話。現状でも流通がアップアップしていて現地ではごちゃごちゃな状況が続いているので、個人が勝手に足を運んで云々ってのは問題外。それに指摘の通り、プロにはそれなりの技術もメリットもある。そのプロによりパワーを与えるのが募金な次第。まさに悟空の「このオラに、ほんのちょっとずつだけ 元気を分けてくれ」的な状態で、自分の元気をちょっと分ける感じ。
近くのヤマトの集配センターに荷物出しに来たんだけど、何かえらい混んでてカウンター越しに客がスタッフを怒鳴りつけてる。
— 闇のタッパたん(15歳清純派) (@tappatan) 2016年4月18日
どうも熊本に支援物資を送れないとはどういう事だ送れても有料とは(ryみたいな事らしい。
( ´・ωΦ)後頭部にパイプ椅子叩き込んで良い?
怒鳴るまでには至っていなかったけれど、それに近い状態の状況を目の当たりにしているので、あちこちで似たようなことが起きてるのだなという実感はある。先日の【ボランティアより今は募金、しかも適切な場所へ】でも触れているけど、個人で援助物資を無理に送ろうとする動きは「兵站の軽視」と「テレビ感覚の距離感の喪失」が大きな要因かな、と思ったりもする。
「兵站の軽視」は補給物資そのものだけでなく、それを適切な量だけ適切な時間で適切な頻度で送る輸送の仕組みの構築、そして継続的運用の大切さ......というか存在そのものですら認識していない。「テレビ感覚の距離感の喪失」とは画面上の状況が目の前にある、手を差し出せば届くとの深層心理レベルでの錯覚。画面に映っているのに、リアルタイムに反応しているのに、自分が手を差し伸べられないのは変じゃないか、というもの。特に「兵站の軽視」の部分は、先の震災で大きな問題となっている、インフラへの軽視にも連動するところがある。
まぁ、要は、本質そのものは大きな違いが無く、その本質が状況に応じて少しずつ姿形を変えて露呈しているだけなのかなあ、とも思ったりする。
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