可視化で見えてきた報道の問題と、信頼の失墜と、「もしかして昔からだったのでは」的な予感と

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「報道の自由度ランキング」周りでもちらりと触れたけれど、それに係わる報道だけでなく、先の九州・熊本地震で次々に露呈される報道関係の不祥事や疑問を呈する報道内容について。炎上という表現が使われているけど、これももしかすると「窃盗」と「万引き」の差し換えのようなもので、本当はむしろ「不当な行為に対する抗議」の方が適切なのかもしれない。そして「信用されていない」ってのは現在進行形で「信用をされなくなりつつある。今までよりももっと」の感は強い。

今回の大地震で報道界隈の不祥事が次々指摘されているのも、多分に可視化による所が大きいのだろう。誰もがスマホというカメラを持つ事件記者になり、不特定多数に周知可能となった。無論ノイズは多分に混じるけれど、実のところそのノイズも報道界隈とさほど変わりはない。そしてスマホは先の震災より普及率は格段に向上しているし、情報の展開サービスも随分と増えている。

要はより暴露されやすくなったって話。見方を変えると、以前から「やらかし」は同程度に存在していたけれど、明らかになっていなかった、見過ごされてきた、被害を受けていた側は語れる機会を与えられていなかった。

このような状況の中で「報道の自由度」が悪化しているとのあの指標の主張を肯定するのなら、それは「既得権益と化した従来型の『報道』に携わる方々の、報道の自由奔放度」が悪化したと解釈されても仕方がない気がする。そしてそれは恐らく、的外れなものではないのだろう。


現場に携わる人の技術が低下したってのも一因だろうけど、恐らくはそれは副次的要因に過ぎず、やはり元々信用は失われる・失われないレベルでは無く、元々無いに等しいものだった。それが段々と暴露されてきただけの話。

箱の中には食い散らかしたお菓子の断片しかないのだけど、多くの人は箱だけを見せられて「美味しそうなお菓子がたくさん入っている」と思ってた。それが少しずつ、箱の中身をのぞける人が増えてきた、そしてのぞいた人が写真に撮って他人に見せるようになった。その箱がひと箱だけならたまたま偶然だったかもしれないけれど、お店に並んでいるお菓子の箱の複数で、日を変えても、同じような食い散らかしが見つかる。しかもお店側の人はその状況を無視し、確定的な証拠を突きつけられた時だけ頭をぺこりと下げて、また同じような箱を並べる。疑念の声には「うちは有名なブランドもののお菓子屋です」と逆切れする。

もしかして昔から内情としてはこんなもんだったのかもしれない。この可視化時代に、自浄作用を働かせることができるか否か。それに報道界隈の今後はかかっているのだろう。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月22日 08:11に書いた記事です。

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