これ、報道の自由度とかの関連の話で言ってるんじゃなくてね。熊本地震をめぐってマスコミが様々な事態においてバッシング受けてそこかしこで炎上してるのを受けてね。マスコミが信用されてない、嫌われてるってのをそろそろ深刻に受け止めた方がいいよ?って。
— 小迎ちゃんパパ 18歳 (@nakamukae) 2016年4月21日
「報道の自由度ランキング」周りでもちらりと触れたけれど、それに係わる報道だけでなく、先の九州・熊本地震で次々に露呈される報道関係の不祥事や疑問を呈する報道内容について。炎上という表現が使われているけど、これももしかすると「窃盗」と「万引き」の差し換えのようなもので、本当はむしろ「不当な行為に対する抗議」の方が適切なのかもしれない。そして「信用されていない」ってのは現在進行形で「信用をされなくなりつつある。今までよりももっと」の感は強い。
今回の大地震で報道界隈の不祥事が次々指摘されているのも、多分に可視化による所が大きいのだろう。誰もがスマホというカメラを持つ事件記者になり、不特定多数に周知可能となった。無論ノイズは多分に混じるけれど、実のところそのノイズも報道界隈とさほど変わりはない。そしてスマホは先の震災より普及率は格段に向上しているし、情報の展開サービスも随分と増えている。
要はより暴露されやすくなったって話。見方を変えると、以前から「やらかし」は同程度に存在していたけれど、明らかになっていなかった、見過ごされてきた、被害を受けていた側は語れる機会を与えられていなかった。
このような状況の中で「報道の自由度」が悪化しているとのあの指標の主張を肯定するのなら、それは「既得権益と化した従来型の『報道』に携わる方々の、報道の自由奔放度」が悪化したと解釈されても仕方がない気がする。そしてそれは恐らく、的外れなものではないのだろう。
しかし、このくらいの規模の災害が起こって久々に3.11の時の感覚を思い出したけど、一口に「ジャーナリストは信用を喪った」って言っても最早それは「丹念な裏取りをしているのか疑わしい」レベルの話じゃなくて「平気で嘘を吐くしバレても居直る」くらいのレベルで信用されてないんだなぁ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月21日
これ、ジャーナリズムの危機どころか崩壊じゃん。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月21日
「マスコミが現場でひどいことをしている」ってのは大昔から言われていることだけど、それはマスコミ報道を通じて見える部分に過ぎなかったわけで、取材の手法だったりプラバシーの侵害だったりと、ジャーナリズムの範疇の問題だったわけだよね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月21日
でも、SNSの発達でマスコミ報道の具体的な現実が露呈されてみると、もうTV報道で映っている映像なんか序の口でかなり人としてひどいことをやっているし、報道に携わる人間が何の抵抗もなく嘘を吐いたり逆ギレしたりしているのが暴露されちゃったわけだよね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月21日
取材時のことだけでなく、出来上がった記事・番組に含まれる情報や分析の質の低さも、以前より広く知られるようになったと思います。SNSで専門家が情報を提供する時代ですから。経済も医療も安保も...。orz QT @chronekotei SNSの発達でマスコミ報道の具体的な現実が露呈...
— ホセヲ? ?zs?? (@yjszk) 2016年4月21日
@yjszk 大分前からそんな状況になってきているし、マスコミの側も薄々わかってきているとは思いますが、結局自分たちが素人集団に過ぎないと謂うところから何が出来るのかってところで「読者の代表として情報を伝える」みたいなヌルいところに落ち着いているんでしょう。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月21日
結論ありきの報道姿勢を批判されても「最初に予断や青図がなければ取材が出来ない」とか反論するのがわかってないんだよな。そりゃそうだけど、取材の過程で青図に反する事実が出てきたら無視するのがいかんのであって、そこで最初の青図を適宜軌道修正出来ていれば誰も文句は言わないんだよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月21日
取材を始めるに当たって全体的ストーリーを構想するのが悪いって話じゃなくて、そんなもん普通は調べていく過程で軌道修正を余儀なくされるのが当たり前なのに、都合の悪い事実は無視して都合のいい材料だけ集めたり、それさえなかったらでっち上げるのがいかんって批判されているわけでな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月21日
「結論ありきの報道」ってそう謂うことだろ。最初に結論を予想して取材を始めることまで批判されているわけじゃないんだよ。何が何でも最初の結論をごり押しするのが「結論ありきの報道」だからまずいんだろ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月21日
現場に携わる人の技術が低下したってのも一因だろうけど、恐らくはそれは副次的要因に過ぎず、やはり元々信用は失われる・失われないレベルでは無く、元々無いに等しいものだった。それが段々と暴露されてきただけの話。
箱の中には食い散らかしたお菓子の断片しかないのだけど、多くの人は箱だけを見せられて「美味しそうなお菓子がたくさん入っている」と思ってた。それが少しずつ、箱の中身をのぞける人が増えてきた、そしてのぞいた人が写真に撮って他人に見せるようになった。その箱がひと箱だけならたまたま偶然だったかもしれないけれど、お店に並んでいるお菓子の箱の複数で、日を変えても、同じような食い散らかしが見つかる。しかもお店側の人はその状況を無視し、確定的な証拠を突きつけられた時だけ頭をぺこりと下げて、また同じような箱を並べる。疑念の声には「うちは有名なブランドもののお菓子屋です」と逆切れする。
もしかして昔から内情としてはこんなもんだったのかもしれない。この可視化時代に、自浄作用を働かせることができるか否か。それに報道界隈の今後はかかっているのだろう。
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