.@gryphonjapan さんの「みのもんた氏のtwitter発言と反響から見える、テレビとSNSの構造的な違い」をお気に入りにしました。 https://t.co/H4pKx4s4jI
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年4月24日
恐らくはこれまで何度となくなりすましが登場したであろう、みのもんた氏のツイッターアカウント。ついにご本人が登場したと思ったらあっという間に大炎上をかましてしまい、さらに従来型メディアにネタを提供してしまうという皮肉な結果に終わった。今後どうなるかはまだ不明ではあるけれど、つくづく「自分に賛意を示す人らを目の前にした、一方的な情報発信」と「不特定多数から突っ込みが入る可能性がある場での情報発信」の違いを覚えさせる。何度となく言及している、これまでの報道と昨今の報道の環境変化を如実に体現化したような。
件の戦史研究家の先生といい、実写版ねずみ男と称される頭髪の薄い都知事といい、みのもんた老人といい、ネットで嫌われる人達の共通項を考えて見たのですが、まず「間違いを絶対に認めない」「言い訳でごまかせると思っている」視聴者やSNSユーザーが「その程度」だと侮る態度が露骨に表れている点
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年4月24日
本人達は、指摘してくれる友人が居ないのか、あるいは居ても聞き入れるつもりが全くないのか。当人らは全く意識していないでしょうが「この程度の応対で良いだろう」と、受け取る側を露骨に侮り見下す態度は、行間に必ず表れる。反省と改善を心がけているかどうかも。見抜かれていることに気づいてない
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年4月24日
つまりは傲慢に過ぎるのです。「集団知」という恐ろしいキーワードに表されるように、数万人が1分ずつそのことを検証したりすれば数万分の考察に匹敵します。当人も気づかなかった失敗も過去の失態もあぶり出され、白日に晒されます。自分より遙かに賢く、執拗で、熱心なものが相手だと覚悟すべき。
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年4月24日
@bisyunoichijin その意味では、ネットでの情報発信者は、常に臆病で居ることが求められるのかも知れません。私は性格が悪い上に極めて小胆なのですが、これが今のところはネット利用では良い方に作用しているようです。臆病と慎重は親戚ですからねぇ。
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年4月24日
で、今件事案に関しては周辺類似事案も合わせ、このような形で分析をされていた方が。大よそ同意ができる。インターネットにしてもソーシャルメディアにしても、現在では多分に普及浸透しているのだから、周囲にも相応なスキルや経験を持ち、アドバイスをしてくる人はいたはず。そのアドバイスがなされなかったのか、成されても聞く耳を持たなかったってのは、ある意味で不幸なのかもしれないし、指摘の通り傲慢だったのかもしれない。もっと単純に表現すれば、舐めていた。
ネット界隈では良く「半年ROMれ」という言い回しがある。ROMとはリードオンリーメモリーのことで、ここから転じて情報発信はせずに情報を読むだけの姿勢を意味する。つまり利用を始めてから半年間は読むだけに徹して雰囲気をつかめということ。この「半年ROMれ」がみの氏にも必要だったのかもしれない。まぁ、オスプレイ直下事案の対象先生のように、半年ROMったとしてもダメだろうなあ的なケースも無いとは言えないのだけど。
大よそ傲慢でいると、その場では気持ちが良いかもしれないけれど、後悔をずっと引きずる事になる。ならば最初は窮屈さを覚え、時として歯ぎしりをするような場面に遭遇することもあるだろうけど、謙虚な姿勢を貫いた方が、結局のところ自分にとってはプラスとなるに違いない。
※追記:
@gnewscom @Fuwarin 「半年ROMれ」のROMは、"Read Only Member" だと思いますhttps://t.co/Pi1L7AEmeO
— DJ-Kaz (@djkaz) 2016年4月25日
もちろん、本来は memory なのですが、それをもじった言葉ですね。
そうでした、そうそう。半年ROMれの方はこちらでした。Memoryのままだと文意が何となく変。ご指摘ありがとうございました。
コメントする