「ジャーナリストは社会の監視者でならねばならない」とのテーゼがもたらしたものと、加速度的な社会の進化に追いつけない人と

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従来型の大手報道界隈にもんやりとした形で覚えることができる、選民意識的なものや反社会的行動・姿勢を賛美する風潮。以前「東大紛争時の反体制の思考がそのまま根付いた形」とも表現したけれど、もう少し状況は複雑なのかもしれないなあ、と風呂上がりの頭の中で色々と考えながら書き連ねたもの。いくつか誤字や意味の上での齟齬が生じている部分もあるけれど、大よそ頭の中のパーツがある程度まとまった感はある。

社会を、政府を、国を監視する立場にジャーナリストはあるのだし、それを行うものが報道、ジャーナリズムに他ならない的な話は、特に著名な関係者や報道界隈にある人の言として耳にする。社会的大義を背負った、崇高な立ち位置にあるかと誇り、声高らかに宣言しているような。自己陶酔に近しい。


その監視の目的、それが社会的意義のあるものとして認められていたのは、ひとえに不特定多数の庶民にとってプラスとなるから。それが今や手段と目的が入れ替わり、さらに監視が叩きに姿を変え、実力行使の遂行まで権限として与えられているかのようなふるまいをしている。ペンは剣よりも強し。それが不特定多数を誘導する、指揮者の指揮棒のようであるのなら。そしてそれは現状で、多分に濫用されている感は否めない。


方向性や振る舞いそのものは、以前から変わっていなかったのかもしれない。多分に尖鋭化はしているのだろうけど。一方で、その振る舞いのひずみ、おかしさが顕著化してきたのは、その行為が可視化されるようになってきた、検証されることが容易になったというのが理由の一つ。

そしてもう一つは、正直、シンプルに表現すると、社会全体の、時代の変化が加速度的なものとなり、その流れに追いついていないがための障害が生じているのだろう。時速40キロしか出せない、前世紀前半のクラシックカーを操り高速道路に乗りこみ、周囲の車に邪魔者扱いされたり、高速道路交通警察隊に取締りを受けても、自分達は正しいと逆切れする。しかもその車はろくにメンテナンスもしておらず、すぐにエンストしてしまう始末。

昔からこの類の世代間ギャップ、社会の流れによる社会観のひずみは存在していた。「今どきの若いものは」とかが好例。しかし指摘している通り、今世紀に入ってからの情報界隈の進化は凄まじく、これまでの時代ならば一世紀ほどかけないと生じなかったようなスピード感のある進歩が、10年やそこらで発生してしまっている。情報界隈に限れば数世紀にも及ぶかもしれない。

本来は数世代に渡って起きる、それ故に世代間のギャップも細切れとなり、少しずつ生じたものが、10年間に圧縮されたため、数世代分がまとめて生じることとなった。とても雑な表現ではあるけれど、それこそ江戸時代の瓦版を書いている人が、その常識や知識のまま、現在の報道界隈に足を踏み入れるようなもの。あるいは今現在でもチョンマゲをして帯刀することが正義だと信じている、的な。

だからこそ、「私達記者は正義。がんばる」なる言葉も平気で出てくるのだろう。自らの大昔の常識が通用しない今の世の中は、時代の流れによる正当なものではなく、自分の信じている軸とは異なる、悪しき世の中への変貌のさなかにあるもので、自分達が正さねばと認識しているのだから。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月26日 08:06に書いた記事です。

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