具体例として挙げられた例はともかくとして。以前もちょいと違った角度で触れた記憶も多々あるのだけど。ユーチューブの利用者拡大に伴うユーチューバーの雨後の竹の子状態のように、モノを創作して不特定多数に閲覧してもらう機会がネットの普及で加速度的に増えたため、表現のハードルが恐らくは人類史上いまだかつてないほどに下がっている。腕前と他人に見せるコツと運があれば、色々な意味で恵まれ、スポットライトを当てられる可能性が増えてきた。
まぁ、実のところそれらの要素が必要なのは今も昔も変わらないのだけど、参加するハードルが低いために、誰もが皆すぐに有名作家になれるような雰囲気がある。まさにゴールドラッシュ状態。あるいは毎日コミケ。
そんなわけで指摘の通り、出版、編集側が、商業レベルに耐えうる技術・才能・作品を有する作家を探すのも、以前と比べると随分と楽になっている。ただし作家側の様々な内面的スキル(パクリをするといった非常識なことはしないという社会性とか、商業レベルで活躍するために必要なスキル、例えばスケジュール管理能力とか)があるか否かはまた別だけど。
雑誌社側では新人を育て上げ、大きく育てていく、あるいは中堅陣として常備軍的なポジションに成長させるような労苦をしている余裕は無くなりつつあるし、その必要性もない。主にネット界隈から探して来れば良い。社会人として成人になったばかりの新兵に色々と教え込むよりも、傭兵を新兵として雇った方が面倒が無くて良い。新人教育的なプロセスを省けるから。そしていくらでも新人は沸いてくる(ように見えるんだろうな、編集側から見れば)。
ただ、新人側もロボットなり植物、アプリケーションなどではなく、人格を持った人間。都合の良いように使いまわされて挙句の果てに捨てられてしまったのでは、憤るのも当然の話。そのような姿勢を示したということは、他の誰に対しても似たような対応をしかねない。作家側からも見捨てられるのは当然の成り行き。まぁ、この数年続いている、一部飲食業におけるアルバイト動向が良い例だね。人と人とのつながりは、結局信用が第一なんだよね。
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