むしろなぜ、日本では国境なき記者団選定の「報道の自由度ランキング」がここまで権威あるように評価され報じられ、フリーダムハウスの「報道の自由」スコアが黙殺されているのかが不思議なのですよね。色々と理由は想像できますが、推論を超えたものではないので言及はしませんけれど。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年5月1日
先日【報道の自由度ランキングをグラフ化してみる(2016年)(最新)】などでも伝えた、国際NGOフリーダム・ハウスが毎年報告している「報道の自由度」の指標。色々と調べていくうちに、素朴な疑問が浮かび上がった。何で自分はこれまでこちらの方の「報道の自由」の指標を知らなかったのだろうか。
もちろん当方のアンテナが鈍かったってのは承知している。今回たまたまツイッターのツイートで「インターネットの自由度」なる指標がある事を知り、そのソースをたどっていくうちにたどり着いた形で、まさに僥倖的なもの。ただ、日本では「報道の自由」関連の世界的ランキングといえば、国境なき記者団が選定する指標ばかりが新聞やテレビで伝えられ、ジャーナリストなどにもネタとされ、先日は官房長官の記者会見の場でも記者側から取り上げられたほど。しかし見聞きした限りでは、これまでフリーダム・ハウス側のは聞いたことが無い。
それぞれの団体の背景や歴史、行動主旨などを見比べても、同じ「報道の自由」に関する指標の内容としては、どうみてもフリーダム・ハウスの方が確証性は高いし権威もある。歴史も長いし(フリーダム・ハウスのは1980年以降、国境なき記者団のは2002年以降)指標の正当性、妥当性、透明性も上。第一、国境なき記者団の方は日本の指標に関する選出者は未公開。先日教えてもらった表現「国境なき記者団の『報道の自由度ランキングは、例の「流行語大賞」と同じ構造、正当性』でしかない」が、非常にしっくりくる。国境なき記者団のは身内のものでしかないからねえ。
日本における知名度の違いの理由は色々とあるのだろうけど、やはり情報は誰が持ってくるのかって点が一番大きいのだろうな。
ともあれ。今回フリーダムハウスの「報道の自由」スコアを精査記事として形にし、定点観測の流れに載せたことで、今後は国境なき記者団の「報道の自由度ランキング」を振り回してくるような事例があっても、冷静な目で実情を確認できるという次第。特定の選択肢を選ぶか選ばないかではなく、特定の選択肢と別の選択肢を用意してどちらがいいか、と考える方が、建設的ではある。
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