世の中が『大きな力』で動かされているって信じちゃうのって、一定数いるんだろうな。陰謀はいつでも何処でも企まれているんだろうけど、その全てが成功するわけじゃない。というか、失敗を取り繕うとしてさらに失敗重ねるって感じで歴史は紡がれて来たとすら、あたいは思ってますですよ
— 各務原 夕@バイタルメンテナンス中 (@nekoguruma) 2016年5月5日
世の中は多分に「見えざる手」で動いていく訳ですが、「見える手」として説明した方が理解されやすいし敵としては設定しやすいですからね。卵の安売りに店が混乱するほど集まる主婦層は自然集合したものですが、「店の騒乱を目論むライバル店による差し金」とした方が理解されやすい次第です。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年5月5日
ひとが二人以上集まれば対立軸が生じ得るしグループは形成されるし意見の相違は生じ得る。そして似たような意見を持つ人が同じ行動をすれば、はたから見ると事前に打ち合わせをしたように見えない事も無い。また実際、その推測通りのこともあるだろう。さらにいえばスタンピード現象のように、他人の行動が個人の行動の後押しをするケースも多分にある。周囲のノリに押される形で、とかいうやつ。
ただし人の行動やムーブメントは多分に、結果論としての集約行動としてのもの。経済学でいうところの「神の見えざる手」。ただそれって概念的には理解しにくいし、理解したとしても納得するのは難しい。概念的な把握ができればいいのだけど、こればかりは訓練と経験と生まれつきの性質次第。個々の人格の相違があるにも関わらず、何で誰の強制にもよらないのに一定方向に動いていくのか、そんなはずはないと考える人は結構いる。
一方で、「何か巨大な意思を持つ個人や集団があり、その思惑に従って世の中は動いている」とした方が、理解はし易いし納得もできやすい。そして実際にその仕組みで動いているものもある。例えばファッション業界の「色のトレンド」とかね。
ただしこの「誰かの思惑で世界が動いている、動かされている」ってのはごく少数のケースで、条件もがっつりと揃っていなければならない。そして偶然のパラメータは無限に存在しうるので、そのような思惑は多分にあるけれど、それが思い通りにいくなんてことは滅多にない。あればそれこそ計画経済の上で世界は永続的に発展しうる。
例にも挙げているけれど、人々の行動理念や損得勘定の判定の結果、同じような行動が多分によって成され、状況の変化が生じると、それを「誰かの指示で、陰謀で」と見た方が説明はしやすい。「仮面ライダーBLACK」における「ゴルゴムの仕業」など、物凄く良くわかるパターン。「天狗の仕業」でも「妖怪の仕業」でもいい。
「日本を牛耳る闇の権力者(or組織)」が存在すると信じる、もしくは存在して欲しい願うのは、自分の不幸な境遇を恨んだり他人を妬んだりして、その犯人探しをしてる人にはよくある症状。その対象は、右左、政治家、役人、経営者とか何でもいい。 https://t.co/KO4BExF7Sy
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2016年5月5日
あと、「なぜ社会がそう動くのかが解らない」って不安も大きいんだと思うんよな。だから、誰かが提示した後付の物語に飛びついて、理解した気分になって安心するというか
— 各務原 夕@バイタルメンテナンス中 (@nekoguruma) 2016年5月5日
@nekoguruma これ、自分の境遇とか、社会の動きに不満を覚えてる・覚えてないに限らずの話。理解出来ない事自体が怖いってこと。あたいなんかも、多少そういう傾向ある
— 各務原 夕@バイタルメンテナンス中 (@nekoguruma) 2016年5月5日
ゴルゴムは物語上の実在組織だけど本当には存在しない、天狗や妖怪は当時の人にとっては「いたかもしれない存在」ではあるけれど、昨今では実在する対象を「支配的立場」にあるものとして位置付けて、それの仕業とする向きがあったりする。その方が理解しやすいし、人の注目も集めやすいし、統率をしやすい。「何かが攻めて来るかもしれないから守りを固めようぜ」よりは「オオカミがやってくる気配があるので厳重に備えよう」とした方が緊迫感はあるし同意者も多くなる。「震度8の地震に備えて対策をしまくろう」というのも似たようなものかな(無論、気象庁震度階級は震度7までで8は存在しない)。
分かりにくい状況の時には、人はどうしても不安になる。対象がネガティブなもの、あるいはネガティブになり得るものならなおさら。だからこそ人は分かりやすいものを求めたがり、その分かりやすいものを正しいものと信じ込んでしまう。その方が気が楽になるから。偽薬効果と似たようなもの......と表現するのは軸がずれているかもしれないけど。
「分かりやすい」と「正しい」は別物。そして往々にして「正しくないもの」は「分かりやすい」を隠れみのとして人々の心を引き付ける。自戒も合わせ、気を付けねばならないことは言うまでもない。
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