今日職場にゴキブリ出たので粛々と殺虫剤撒いて殺害したんだけど、もちろん化物扱いされたりはしなかった。つまり魔王を殺すときに聖剣が必要なのは、実際に有効であるというのはもちろんのこと、「勇者自身を化物扱いさせない」というシステムのために聖剣なるモノが用意されたのではあるまいか。
— きー子 (@keyko191) 2015年10月25日
実はこのツイートには大本のネタとなるツイートがあったのだけど、どうも通達が絶え間なく来るからか削除されてしまっている。その内容はといえば「ゴキブリ出た時に素手で掴んで逃したりトイレに流したりすると、苦手なみんなには英雄なはずなのに「近寄らないで」って言われるのホントに「化け物を倒せるあいつも化け物だ」って言われる勇者の気分」というもの。
つまり、直接多くの人が忌み嫌うものに対峙して打ち負かすと、打ち負かした本人が同等の能力を有している、見方を変えれば多くの人にこれまでと同じ害を成しうる存在と認識されてしまう。そこで、何らかの特効薬的な存在、今件ならば殺虫剤、勇者ならば聖剣が用意され、対峙する側への恐怖を抑えているのではないかとの話。なるほど、その発想は無かった。
実のところ殺虫剤にしても聖剣にしても、大よそそれだけですべてが解決するケースはほとんどない。ツールはあってもそれを使いこなせるか否かはまた別の問題だから。それでもそれらのツールにワンクッション置かせることで、当事者への恐れが随分と軽減される。あの人がスゴイ、怖いのではなく、あの人が持つ道具がすごいンだ、的な。
漫画版が先日終了して単行本化待ちの「まおゆう」でも、同じような描写がある。勇者は勇者の力を持つがゆえ、人の味方でありながら人からも恐れられ、避けられ、そして忌み嫌われてしまう。その実情に勇者自身が悩んでしまうというもの。正義の力がオールマイティカードとして通用し、無条件に信奉されるという設定に無理があるのではとの解釈は、最近の「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」でもテーマの一つとなっている。シンプルでは無いので読み手にとってハードルは上がるけど、よりリアルさを覚えさせられる。そして世の中の難しさも。
殺虫剤や蜂起は、日常生活においてG退治のための聖剣のようなもの。それがあることで、退治した側の災厄を回避することも可能となる。そう考えると、なかなかに奥が深い話には違いない。
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