記者が自分のことを「正義」等と言い出したらその人間は既に正気を失っている。「正義を知らしめるために記者をしている」や「正義のために記者をしている」ならまだしも...正義とは、対立する陣営を悪だと断ずる考え方でありそれ以上ではない。 https://t.co/IrEfbH17lp
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年5月24日
@laboratorymembe @yurikageyama 記者とは正義でも何でもなく、ただただ真実を伝えるものです
— わくわくしちゃうよ@Hakan (@wakuwakusityau) 2016年5月24日
それが正義か悪かなどと考えていては記者失格でしょうに
@wakuwakusityau @yurikageyama まさにその通り。記者が正義なのではなく「一般国民が汁必要がある情報を、解釈を入れず、事実のままにありのままに報道すること」それが「記者として」守るべき基準では無いかと思います。
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年5月24日
先日の【「私達記者は正義。がんばる。」よろしい、それでは君らジャーナリストの正義は 一体どこの誰が保障してくれるのだね?】とも関わるお話。というかAP通信配信による情報の信ぴょう性にも関わる重大な問題の気がするのだけど、大丈夫なのかしらね。
で、未だに該当氏は自らの正義たるものを記者全体が持つ無敵の武器として振り回しているわけだけど、指摘の通りぶっちゃけると正義云々ってのは記者には必要はない。それどころか猛毒ですらある。記者が、報道が読者、受け手側に求められているのは、事実であり(引用ツイートでは一部「真実」としちゃってるけど)、記者側・配信者の「真実」では無い。
>@laboratorymembe たとえば郵便屋さんが「私達郵便局は正義」とか言って勝手に検閲を始めて手紙を廃棄したりしたらえらいことだが、それをリアルにやってるのがマスコミと考えると背筋が寒くなる。
— 蒲田 鉄弥 (@kanoryu_m30) 2016年5月24日
郵便屋さんの正義は、正確に、壊さず、迅速に届けること。
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年5月24日
報道の正義は、偏らず、中正公平に、迅速に情報を届けること。
そうだと思っていたのですが、どうも記者達の中には「自分たち好みの情報を拡散して世論を誘導するのが正義」もいるようで https://t.co/ry9nPK3YWL
「真実」ではなく「事実」ですね、伝えるべきものは。「真実」としてしまうと、伝え手の基準・価値判断が多分に混じってしまうのです。「事実」と「真実」を同一視すると、色々と困ったことが起きる次第で。https://t.co/gktKdlzFjf
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年5月24日
「郵便屋さんの正義は、正確に、壊さず、迅速に届けること」。ここには「事実のみを伝えれば良いのだから、都合の悪い事実は伝えずに、都合の良い事だけ伝えよう」とする取捨選択もまた、よろしくないことを意味する。郵便屋さんの例なら、「恋人同士のやりとりは気に食わないので全部ゴミ箱行き。漫画はけしからんのでコミックの郵送物も全部燃やしてしまえ」という所業をしていることに他ならない。
このような報道関係者がごく一部なのか相当数なのか、それとも多分なのかは分からない。しかし組織として意見の披露、行為をとがめられることもなく、継続しているということは、少なくとも組織内でその所業が容認されていることになる。元からだったのか、ソーシャルメディアの普及浸透で暴露されるようになってきただけなのか。いずれにせよ、怖い話には違いない。
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