子供ハーネス論争は「犬じゃないんだから」と反対派が評するように、幼児を利口な飼い犬に擬えるから話がややこしいのであって、彼らは野生のシロテテナガザルだ!と定義すれば、野生のサルは言葉で止められないし、三次元で逃げるし、赤信号も突進するよなとなる、2歳児時代ウチの息子はサルだった。
— きなこ (@3h4m1) 2016年5月23日
子供用ハーネスを使うと「犬みたいで可哀想」「お母さんが手を繋いであげるべき」などと口出しされることに対してめちゃくちゃ長文で反論しているブログを見たんだけど、その手の人間への対応は「うるせえバカ」で充分だと思ってる。
— 深爪 (@fukazume_taro) 2016年5月24日
定期的に論拠に登ってくる、子供向けの命綱、ハーネスの話。つけることで新たに生じるリスクもあるのだけど、それで得られるリスク軽減と比べれば些細なモノ。要は総合的に考えて、子供のリスクを増やすか減らすかで考えれば良いまでの話。自転車に乗る時に規格にあったヘルメットをかぶりましょう、的なのと同じなんだよね。
事故周り云々の実数は【子供の飛び出し事故の実情をグラフ化してみる】で記した通りで、これ以上のものは無し。そして子供の突拍子もない行動の実態は、まさにブラウン運動やら人間の意思が通じない動物と同じ。子供がいかに乱数運動をするかは、実際に子供に触れればすごくよくわかる。道端を歩く、自転車で走る際にも、子供が目に留まったら「どのような挙動をするか分からない」との注意をすることは欠かせない。実際「え、なんで?」的な動きをされて、事故るかもという場面に遭遇したことは多々あるから。そもそも「犬みたいで」という表現からして色々とひっかかる部分があるけれど、これは本筋ではないので今回はパス。
「お母さんの手を思い切り振りはらって道路に突進、車にはねられて死亡」という事例を想像できない(実際にある事例)時点で、長文を読むのも長い話を聞くのも無理な人でしょうからねえ...
— KGN (@KGN_works) 2016年5月25日
こういう対応はある程度必要。 https://t.co/9g8HGf1k4g
3単語以上の文章を読めないし、聞いても理解できない。
— KGN (@KGN_works) 2016年5月25日
いわゆる発達遅滞等では無くても、こういう人って普通にいますからね。
説明の後、どう理解したかを確認すると「自分の耳に残った幾つかの単語」をランダムにつなげて、デタラメを言うので判ります。
文章理解のための訓練をしてない、そのまま理解しなくてはいけない事も判っていない。
— KGN (@KGN_works) 2016年5月25日
そういう人に長々と説明すると良からぬ方向に間違うのがオチなので、まとめとして手短に「お酒は禁止です」などと言う事も。
他の事でも同じですね。
「事例があるんだよ、と提示されても、その事例を自分がそれまで知ってた範囲の事項で解釈しようと捻じ曲げる」
— KGN (@KGN_works) 2016年5月25日
という特徴も一緒に持ってる人、案外いるんですよね...
ぶっちゃけると子供用のハーネスを使う・使わないは個人の自由です。一方で
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年5月25日
・他人が使うことに文句はつけないように。使っているのはその人の自由ですから
・使わないことで確実にリスクは高まります
は認識しておくべきでしょうね。
ハーネス問題は多分に感情論やら印象論による反論が多分にあるので、反対する筋にはどのような論理的解説をしても意味がないし、その価値を見いだせない。ぶっちゃけると自身が子供用ハーネスを使う機会がない人に対しては「人の事だから黙ってて」で済むし、使う機会がある人で使いたくない人は、自身の自由にすれば良い。現状ではシートベルトのように取りつけ義務があるわけではない。
ただ上記で指摘したように、他人の取りつけ動向に文句はつけるなというのが1点。使っているのはその人の選択なのであり、他人に迷惑をかけているわけでは無い。さらにもう1点として、使わないことでリスクは確実に高まる。この2つは忘れないように。
それとも......使わない事で生じるリスクの体現化は、自然淘汰の一環だから放置すべきだというご意見なのかな。昔と今とでは随分と環境も異なるので、「昔はあまりつけてなかった。だから今も必要ない」ってのは道理が通らないのだけどね。
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