最近、「LINE」って歌詞が出てくる曲をよく見るけど、数年後LINEが廃れた時、ポケベルが鳴らなくて状態になるから、割と控えた方がいいと思う。「LINEは廃れないだろ」って思ってる若いフォロワーさん、その昔私もmixiに対して同じこと思ってました。
— 杏 (@anztolchock) 2015年3月23日
これは確かにその通りで、先行記事のジェネレーションギャップにもつながるようなもの。現在はとりわけ若年層の対話ツールとしてLINEが多用されているため、その情景を描写する歌詞の中に、分かり易い表現としてLINEを用いるのは当然の話ではある。日常生活の描写で、スマホもテレビもパソコンもゲーム機も無い情景だったら、何となく違和感があるよね、って感じ。
特にポップス系の曲では多いのだろうけど、結局これは「歌われている当時の社会観」を反映したものなので、時間が経過すると古めかしさを覚えてしまうのは仕方がないと思う。例えば5年後、LINEはまだ使われているだろうか、さらには存在しているだろうか。指摘の通り、mixiは5年間でどれだけ社会における価値を変えただろうか(「ミクシィ」は今やモンストの会社であり、ソーシャルメディアのmixiを今なお運用しているとの認識は二の次、三の次となっている)。
ただ、これって
「LINE」て歌詞に入ってるような曲そのものがあと数年も生き残らないから、結果的には心配いらない RT @anzswallowtail: 最近、「LINE」って歌詞が出てくる曲をよく見るけど、数年後LINEが廃れた時、ポケベルが鳴らなくて状態になるから、割と控えた方がいいと思う
— Ippei Nishida (@n_ippei317) 2015年3月23日
という指摘もある。LINEという特定物の流行り廃りと曲そのものの寿命はさほど変わらないだろうから、そこまで心配する必要はないとするもの。それに良い曲はLINEなるものが廃れてしまったとしても、良い曲で有り続けるのには違いない。
このような「当時の風潮を取り入れた風俗文化」ってのは、記録に残ると、のちのち社会の検証材料としては有効だったりする。語られた当時において「常識」なものが反映されるからね。何しろ非常識な日常を語る、描写しても、親近感は得られない。
当方が定期的に購入している四コマ漫画誌では、大よそ普通の人達の日常が語られている。それが親近感を覚える要素に違いなく、その中にエッセンスとして非日常が盛り込まれることがある程度。高校生たちのやり取りの中で、昔は従来型携帯電話ですら持っている人が少なかったのが、それが当たり前となり、インターネットをそれなりに使うようになる。そしてスマートフォンを持つ人が増え始め、それが常識になって、LINEやツイッターでの意思疎通が普通に描かれるようになる。その流れを認識しながら読み返すと、また違った面白味もあるのだな。
流行歌にしても、歌われた社会背景などが盛り込まれていることが多い。その視点で聞き返すと、新たな世界が開けるかもしれないよ。
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