昔からみんな死者の扱い、死体の扱いには困ってて、その為に宗教に葬儀の要請がずっとあったわけで、色々と困った挙げ句に一番無難なやり方がスタンダードとして今に残ってるのであって、こっからあまり変更する餘地はないのだよね。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年6月1日
何年か前、無宗教葬をして二三年経ったけど......っていう人から何人か連絡があって、何回か普通に真言宗で御供養をやり直したことがあったんだけども、あれ、故人への愛情がそれなりにあると、その後の"なんもなさ"に耐えられないみたいで、散骨とか無宗教葬っていうのはそこら辺整備しないとイカン。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年6月1日
以前お墓の概念について色々と考察した機会があるけれど、それとも関連するお話。ゴミのように扱うわけにもいかず、かといって生前のままのように配しておくのも色々と問題がある。さらに時間の経過と共に亡骸(なきがら)は増えてくるわけで、そのままの形をずっと維持し続けることになると、人のすみかが無くなってしまう。
ある程度その人が存在していたことの証を残しつつ、衛生面や土地管理の上でも問題が無いようにしよう、さらに今生きている人たちの心の安寧もえられるように......との考えが、今の宗教の有り様では無いかな、という。そういや「アップルシード」ではビルの中に無数の位牌置き場みたいなものが配されている、お墓の集合団地みたいなものがあったな。似たようなコンセプトのものが「スピリットサークル -魂環-」にも出てきたような(もっともこちらは位牌ではなく体の一部そのものだったけど)。
で、その人の知恵の結集でもある、宗教的な概念が無い、有していない人たちにおける、身近な人が亡くなった後の心の空白が問題との話。ペットロスに心境的には近いのかもしれないし、仏壇などの概念がない場合はやはり問題になるのだろう。
手前は、仏壇がアレならシルバニアファミリーを買えばいいと思ってるんだ。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年6月1日
死後はシルバニア村に往生するんだよ。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2016年6月1日
シルバー(Sliver)ニア(Near)村https://t.co/vhXgUGcrLl
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年6月2日
銅像とかも同じような発想で、結局のところ、心のよりどころとなる何か物理的なものがあれば良い。シルバニアファミリーでも一向に構わない。それこそ生前のその人に似せたシルバニアファミリーの人形を作るサービスなんてのもありかも(悪趣味かな)。
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