取材する 側も今では されもする

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これは良くある話ではあるし、当方も秋葉原では無いけれど直にそのような「意図的な選択による『市民の声』の収録」を見たことがあるので、昔も今も変わらないのだなという感覚がある。これってテレビカメラによる収録に限らず、新聞の「読者の声」でもよく使われている方法。最初に結論、そうあってほしい状況が存在し、その状況に合わせる形で不特定多数の母集団の中から都合の良い「アトランダムに選ばれた(ように見える)」声を抽出していく。

第三者から見れば、一定の母集団の中で多数意見の代表のように見えるけれど、実のところは送り手側のアピールしたい、思わせたい内容でしかなかったりする。例えば白と黒の碁石が10個ずつ入ったコップの中から、意図的に黒の碁石を1つずつ、合計5個取り出したとする。そして取る行程は他の人には見せない。「どうです、私の手の中に収められている碁石たち。みんな黒ばかりです」と言われたら、コップの中には最初から黒しかなかったように思えてしまう。


で、この手法って碁石の例に有る通り、映像の制作過程が分からず、結果だけが提示される場合に有効となる。つまり撮影時にえり好みをしている、新聞の「読者の声」なら手紙を都合の良い内容のものを選択している、あるいは手紙の内容そのものを創作している場面まで開示されると、色々と台無しになる。手品ならタネを仕掛けている場面を見せてしまうようなものだからだ。

その「タネ」の部分が、このような「えり好み」だったりする。今では誰もがスマホを持ち、動画取得ができる状態にあるので、このような場面を紹介するってのもアリなんだろうな。取材する側が同時に取材素材となり取材される時代でもある。これまでに傍若無人、都合の良いように「世の中のありよう」を演出していたとするのなら、時代は、環境は変わったとの認識が必要だろうね。

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このページは、不破雷蔵が2016年6月 9日 06:27に書いた記事です。

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