海老蔵の妻、小林麻央の進行癌報道と、それを受けての記者会見。海老蔵が「妻も観ています」と繰り返すのに、しつこく「ステージいくつですか」と質問する記者。本人にも言っていないかもしれない話をずけずけ聞く。仕事とはいえ、人間性を疑わざる得ないような無神経な連中だ。
— 馬場正博 (@realwavebaba) 2016年6月9日
小林麻央さんの病状に対し海老蔵さんが言葉を選びならが誠実にお話しされているのに「ステージは」と平然と質問するメディア側の神経が僕には分からない。麻央さんご本人も会見をご覧になっているだろうに。デリカシーの無さに辟易させられる。
— 野口健 (@kennoguchi0821) 2016年6月9日
メディアスクラム .@DustCroon さんの「市川海老蔵がブログを更新「命に関わる問題です、取材をやめて」悲痛な叫びに同情の声集まる」をお気に入りにしました。 https://t.co/VUemG9BZ3d
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年6月10日
当方自身は芸能方面にはとんと疎くて興味もさほどないのだけど、それでも昨今の伝えられ方を見るに、色々と考えさせられるものがある。医学の進歩で相対的に治療・予防法が立ち遅れ気味となるがんに関する話が増えているのも、ネタとなりやすい一因ではあるのだろうけど、そして相手が「いじりやすい」ってのもあるのだろうけど、デリカシーというか、常識を超えたやりとりが目に留まる。以前言及した記憶もあるけれど、対象をモノ扱いしている以上の雰囲気が無い。
ファンモン加藤にかて、子供おるんやで。生まれてくる子にも罪はないけど、いまいる子がどう思うかかんがえたれ、マスコミ
— 源氏星 (@genjibosi) 2016年6月9日
今件のがんの話に限らず、都知事の件とか加藤氏の件も合わせ、いわゆるメディアスクラム、「視聴者様が欲しているのだから無制限のやりたい放題免罪符をゲットしているのだぞ」的な傾向が強すぎる。一言でいえばゲスい。
「視聴率が稼げる」「購買数が増える」「記者としての名が売れる」が本音であるにも関わらず、それを「視聴者が、読者が望んでいるから」にすり替え、大義名分としてしまっている。視聴率が稼げるのが確かだとしても、それが唯一の選択肢ではない以上、視聴者が望んでいるから仕方なくとの説明は通らない。
「そーゆーことを考えていると務まらない」ってぺーぺーの頃から叩き込まれて育つと血の色が変わっちゃうんだよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年6月10日
何だこのブルークリスマス案件。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年6月10日
そう謂う醜悪な通弊を「コクミンの知る権利」とか「個人を記録に刻む」とか如何にもぺーぺーが騙されそうなスッカスカの嘘で塗り固めてあの連中の醜悪な商売が成立しているんだよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年6月10日
個人が当たり前に保護されて然るべきプラバシーを公的な記録に刻むことを決定する権利なんて赤の他人にあるわけがないだろ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年6月10日
行きすぎたプライバシーの詮索や暴き立てについて、マスコミ人が語る建前に納得出来たためしがない。ツッコミどころしかないボロボロの嘘っぱちじゃないか。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年6月10日
マスコミは何か勘違いしてるんじゃなかろか、視聴者の多くが望んでいるのは麻央さんとご家族の心の平穏と麻央さんの回復でしょうよ、そっとしたれよ / 度々申し訳ありません。マスコミの方々へ|ABKAI 市川海老蔵オフィシャルブログ https://t.co/sTM1LzOGpn
— クロイヨシツネ (@YoshitsuneK) 2016年6月10日
ここまで言わんと伝わらんのかよ。。。RT 市川海老蔵『度々申し訳ありません。マスコミの方々へ』
— たられば (@tarareba722) 2016年6月10日
⇒ https://t.co/P2eiQfnw9s pic.twitter.com/kUoiLR4j0b
昔と比べるとメディアに携わる人の質が落ちている(あるいは元々その程度の質だったのが暴露されやすくなっている)、メディアの多様化で従来型メディアへの需要が減退しているので焦りを覚えているってのはあるのだろうけど、少なくとも新聞界隈ではメディアスクラムに関して【「メディアスクラム」に関する日本新聞協会編集委員会の見解(12年前)】にもある通り「やっちゃダメだよ」と自主規制的なものを設けているし、他の従来型メディアも似たようなものではあるはずなんだけど。上記に挙げた事案はいずれも、メディアスクラムそのものだと指摘されても否定できないレベルに違いなく。
そのような「メディアの暴力」を見ていて心苦しい、苛立たしさを覚えるのは、自分にいつ同じような刃を向けられるか分からないこと、傍若無人な専制君主的ふるまいをしている界隈によって理不尽な被害を受けている様相が伝えられていること、そして何よりもその行為を「視聴者が求めているから」と責任転嫁されているから。好き勝手なことをして、自らの懐を潤わせ、責任は視聴者・読者に放り投げ。むしろその行為こそが正義であり使命であるとしている。「何勝手なことを言ってるのか」という感はある。
以前このような「メディアの暴力」への対抗手段の一つとして、【報道される側の一次情報公開のススメ】を挙げた。ただこれは事実をよじ曲げる報道界隈への対抗手段で、今件のようなメディアスクラムには使えない。
あるいは今件のように、一定の情報発信力、知名度がある人ならば、自らの状況を逆に利用して、メディアスクラムに対抗するという手も考えられる。「私も情報を発信します」とばかりに、雲霞の如く現れる、好ましくない取材陣にカメラを向けて、その実情を情報として発信する。記者界隈は自らの素性を露呈されるのは、一般の人以上に嫌う傾向があるからね。何か文句を言われたら「あなた方と同じことをしているだけです」で説明は終わる。
先日の【取材する 側も今では されもする】と発想は同じ。要は、今まで叩かれる一方だった取材対象も、「取材報道」という反撃する手段を得たというわけだね。そしてそれは最低限、スマホとソーシャルメディアのアカウントがあれば可能となる。この手法、覚えておいて損は無いと思うよ。
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