「報道の使命は権力の監視」って言葉は今でも通用するのか

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これは以前から何度か報道関連の話で触れているもので、「私達記者は正義、がんばる」に通じるもの。昨今では「権力の監視」の「監視」の部分をただ見つめて(報道の本来の意味としての)情報を不特定多数の第三者に提供するだけでなく、権力を叩くことまでが使命にあると解釈されている。その辺りが多分に、元々権力を叩くのが一義的な人達との相性の良さがあり、取り込まれた、あるいは兼ねるようになってしまった、同一化しちゃったのかもしれない......って考えると、昨今特に目に留まるようになった、ジャーナリスト・報道界隈の反社会的な行動・発言の数々が納得できてしまうから不思議なモノ。

で、指摘されている通り、元々報道界隈がそれなりに他には無い技能、特権(情報を集め、不特定多数に提供すること)を有し、その特権に恥じないような行為・倫理を求められていた時には、この考え方はある程度通用していた。情報の伝達機関、インフラを支える存在的な、高貴な公器といったところ(洒落含む)。

ところがソーシャルメディアの普及浸透で、その特権・特別な技術が誰にで取得でき、行使できるようになると共に、報道の中に居る人達の実態が暴露されるようになってきた。高貴な人達で公器たるべき考えに基づいて情報を精査し配信していると思ったら、そんなぐだぐだでろくでもない人たちだったのか、的な。舞台裏の実情がばれると、普段の報道内容も色々と怪しげなものに読めてしまう。

恐らくは質そのものの絶対的な価値の劣化も進んでいるのだろう。テストの点数のような絶対的指標が無いので比較は難しいけれど。他方、それを創り上げる人達の中身も明らかになってきて、ますます幻想が崩れている。

なので、監視とか叩きとか核心的利益に基づいた世論誘導とか記者の想いはチラシの裏に書いておくなり無料ブログで展開すればいいから、まずは新聞やテレビなどの報道では、まず事実をしっかりと伝えるという基本部分に立ち返った姿勢を示し、実行をしてほしい。巧みに取捨選択して情報の操作をすることなく、ね。

それすら出来ないのなら、今の報道界隈は悪質系のまとめサイトと何ら変わりない、あるいはそれですらないとの認識をされても仕方がないのかも。

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このページは、不破雷蔵が2016年6月14日 07:50に書いた記事です。

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