前にゲームショウでキングスフィールドみたいなゲーム出してるサークルさんいて、デモプレイしてる横で聞いちゃったんだけど、キングスフィールドやったことねえって言ってたなあ。スチームでぼこぼこに書かれてたけど、やっぱ買い手はキングスフィールド像を重ねてくるのでつらいとこよね
— BS (@circle_blacksub) 2016年6月14日
unityでグラフィックが綺麗になって怖いのがそこな気がする。メジャータイトルの劣化版に見られるという罠。ダークソウルっぽいゲーム作ってる人いて、lostnoseっていうやつで、個人として最高に出来はいいのに、これなら本家買うわとか書かれてて、まさに上記現象が起こっていた。
— BS (@circle_blacksub) 2016年6月14日
自分の経験から言うと、「○○なら××買うわ」とか言ってる人は結局、買わない(しかも大抵はどちらも買わない)人達なので、気にしてもしょうがないと思う。ゲームは究極的には体験が全てなので、見た目だけでは本当の評価は難しい。https://t.co/FhIcOHNi1W
— 小林信行 N.Kobayashi (@nyaa_toraneko) 2016年6月15日
名作は多くの人に多大な影響を与え、その後に展開する作品に対し、系統図みたいなものがつくられるような情景となることもある。作った本人は意識していなくとも、無意識のうちにその偉大な作品の香りを覚えてしまうものがある。あるいは似たような環境下で似たような意識を持ってデザインすれば、結果として似たような雰囲気のものができることもあるだろう。
その場合、その偉大な作品を知っている人が「これを買うぐらいなら『偉大な作品買うわ』」とツッコミを入れてくることがある。ただ実際に、その人が「偉大な作品」に手を伸ばす事はどれだけあるのか、という話。そういや確かに、「これを買うならそれではなくてこちらを買う」という選択をした場合、「こちら」を選ぶ思いはどれほどあるのか。比較論として、Bを買うならAの方が良いと判断したまでの話であり、Aを買うとまでは決めていない。つまり、BよりはAの選択をしただけで、Aを手に取るとは決めていない。だからAすら手に取るとは限らない。
仮に「BだったらむしろAを買うよ」という人をどうにかしてBの方に向けさせたとしても、果たしてその人がBを手に取るか否かは別の話。それよりはAのことなどを気にせずに、Bを買う人へのアプローチをした方が合理的ではある。犬を飼うのだったら猫を飼うよという人に、どうにかして犬を飼うように説得しても、「どのみちペット厳禁の家に住んでるから」といわれるのがオチだったりするのなら、最初から「ペット飼いたいな」「犬が好き」という人に声が届くようにした方が良い。
グラフィックが良くなることは、当然体験を引き上げることに繋がるので、ゲームにはプラスに働くけど、そこだけに注力すると効率が悪くなってくる。その時は別の体験を引き上げた方が全体の満足感は上がる。当然予算は決まってるから、その範囲でどの体験に注力するかが、センスというものだと思う。
— 小林信行 N.Kobayashi (@nyaa_toraneko) 2016年6月15日
お客へのアプローチと選択とはちょいと外れるけれど、なるほど感を覚えた話をもう一つ......というか話としてはつながっているのだけど。これは限定リソースの中でいかにバランスを調整していくかという問題。声優に力を入れ過ぎたら予算をバリバリ食ってしまって、舞台描写がおチープになりすぎたアニメとかゴホゴホ。作りたいのは、お客に提示したいのは、喜んでほしいのは何なのか、その見極めが必要ということになるわけだ。
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