「有識者」のいまむかしを考える

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新聞の見出しに使われることが多々ある「有識者」や「専門家」の肩書。その部分だけを見ると「その筋の第一人者で語っている内容はダイナミック正解なはずだから、見出しの内容は確かに違いない」的な印象を受ける。記事の書き手側もわざわざその肩書を制限された文字量で含ませるってことは、「権威ある人が語ったのだから、その内容は多分に確からしいものだ」との主張を多分ににじませていると認識できる。

ところが昨今では、見出しに「有識者」や「専門家」とあったら、その見出しの内容をうのみにせず、本文まで確認し、語った人が誰であるかを見極め、その人の立ち位置やこれまでの言及、信ぴょう性を精査する必要をひしひしと感じるようになった。一番顕著な例が【専門家曰く「男性の喫煙率が下がった結果、肺がんで亡くなる人がぐんぐん増加しています」。で、その専門家って誰よ? で始まる「また武田邦彦氏か」的な顛末】かな、と。

なので上記のような認識がなされるのも致し方ない...とここまで書いたところで、実のところ新聞や雑誌における「有識者」って、昔からこうだったのではないか、との疑いも持つようになった。昔は「有識者」の言葉に対する疑問を持っても、その筋の専門でない限り、精査する事は難しかった。今は精査ハードルがガッツリ下がっているので、確認は不可能では無い。

今や「有識者」の意味は「知識を有している人。ただしその知識が正しいか否かは保証されていない」程度に見た方が無難な気がする。


これは「有職者」と「有識者」をかけたネタ的なものだけど、そして「ゆうしょくしゃ」ではなく「ゆうそくしゃ」と読むと本当に「優れた学識を持つ人、特定方面に優れている人」を意味するので、その通りではあるのだけど。本来「有識者」「有職者」の言葉で得られる権威やプラスイメージを濫用された形で、言葉の価値そのものが随分と削られてしまった、格下げされた感じがするんだよね。「市民」とか「ジャーナリズム」なんてのも良い例かと。

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このページは、不破雷蔵が2016年6月19日 07:29に書いた記事です。

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