「かつて昭和の時代は、これこれの方策で上手く行った(あるいは、何も対策をしなくても上手く行った)。だから、その当時と同じようにしていれば今後も問題ないだろう」
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2016年6月22日
というひとは、即刻その考えを捨てていただきたい。なんであれ。
ただこれは、闇雲に「改革」をすればいいというものではない。失われたもの(その最たるものが「余裕」はわけだが)を取り返すにしても、昔と同じ処方でいいわけがない。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2016年6月22日
良い例が大学の授業料周りの「自分の時にはアルバイトで学費を賄ったから云々」ってやつで、消費者物価指数の動向を勘案しても、昔と今とではかなり学費の負担が変わっており、昔感覚では今の状況は解決しない。あるいは少年犯罪もそうかな。数量的な観点で説明できないタイプのもあるのだけど、この類の話って結構ある。
もちろん昔がダメで今が良い、古いものは悪くて今は良いという軸で考えるのも早急に過ぎる。あくまでも昔と今を同列視するなということであり、昔のようにするなとの意味では無い。ただ、昔の良い部分を取り入れるにしても、周囲環境が変わっているのだから、昔のままで同じ事をして良い結果が出るってのは滅多にない。
あと「老害」というのは、「現在」「10年前」「30年前」の混同を気づかずにやってしまうことを指すと考えている。自分もこの歳になり10年前を「最近」と思うようになってしまったが、気をつけないといけないと思っている。とくにここ30年ほどは社会のインフラの変化が比較的小さいので要注意。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2016年6月22日
もちろんそうですよ。実際は変化しています。字数の関係で端折りましたが、「ぱっと見た目」のインフラの変化は、かつての砂利道が舗装され、水道が通り、街灯ができ......という変化に比べると「小さく感じられる」ということが言いたかったのです。https://t.co/ZoVqGwqfxH
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2016年6月22日
地域にもよりますが、2016年の街頭写真と1986年のそれを比較した場合と、1986年と56年を比較した場合の印象の差は、86→56年のほうがはるかに大きいでしょう。https://t.co/ZoVqGwqfxH
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2016年6月22日
これは何度か以前にも取り上げたのだけど、時間の経過と共に技術の進歩や環境の変化が生じている一方で、人は成功体験を強く信奉してしまうから、結果として昔の価値観を固持し、周囲、特に自分より下にある人(、それは往々にして自分の年下となる)に押し付けてしまう。そして「健康でいられる寿命が延びた」「技術の進歩が加速化している」ことで、年齢階層におけるギャップが一段と大きなものとなってしまう。
これが単なる笑い話や、良い方向にかじ取りされればよいのだけど、若年層、そして世間全般に弊害をもたらすものとなると、いわゆる「老害」と評されることになる。その時に原因となるのが、自分の体験と周辺の時間の流れの差異をうまくつかみ取れないこと。
語りでは昨今の方が見た目の変化は大人しくなっているとしているけれど、だからこそ技術の加速進歩に気が付きにくいってのもあるかもしれない。エアーカーが空を飛びかい、宇宙服のような全身タイツの服を着ている人が街を練り歩き、ビル群にはエアチューブがもりもり交差しているなんていう都市はどこにも無いけれど、日常生活の上での生活様式はむしろ昔の30年と今の30年とでは随分と今の方がスピード感あるものとなっている。
とりわけ今世紀に入ってからの変化の加速感は、健康寿命の伸長も相まって、技術、生活様式のギャップを大きなものとしている。何度か記事にしている、テレビのチャンネルとか電話とか、また本日先行記事で挙げた動画やCMの話もその類になるのだろうね。
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