VRと「趣味趣向」か「必需品」かとの話

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家庭用ゲーム機向けの端末発売で一気に話題として盛り上がってきたVR。多分に右往左往、試行錯誤の感はあるけれど、注目を集めればそれだけリソースが投入されやすくなり、トライ&エラーがなされることになるので、前進スピードが加速することに違いは無い。また、触れる人が増えれば、これまでに想像もできなかった領域での工夫、仕組みの開発も成されるかもしれない。サイコロは振る人が多い方がぞろ目は出やすくなる、的な。

一方で、現状ではVRに関しては趣味趣向品、エンタメ品の色合いが強い。これはどちらかといえば深く狭い感じ。世間一般に広まり、市場が拡大し、多様な方面に展開されるためには、WantではなくNeeds(必要不可欠的なものに近い欲求)に展開する必要がある。要は、iPhone登場以前のスマートフォンと、今のスマホの違い。


VRは確かに面白そうではあるし、未来を覚えるドキワク感がある。ただ、それが無いと死んでしまうとか、夜も眠れず仕事も手につかないってほどではない。世の中に存在する多種多様な「興味関心事」の一つ程度しかない。この辺りを解決する......というか、多くの人に「手をつけてみたい」と思わせるには、それだけのハードル越えをさせてくる魅力的なコンテンツの提供が必要となる。

まぁ、この辺りは家庭用ゲーム機とソフトの関係みたいなもの。「みんながやってる、話題にしているドラクエをしたいから、このゲーム機を買いたい」という人は沢山出てくるけれど、「ワールドアドバンスド大戦略で遊びたいからセガサターンを買いたい」という人はさほど多くない(当方はその一人だったけど)。より多くの人に実装に必要な金額を超えるだけの魅力を感じさせるコンテンツの提供は欠かせない。多くの人はVRそのものを求めているのではなく、VRで提供されるスゴイコンテンツを求めているのだから。

コンテンツの定期的提供も、まったくもって家庭用ゲーム機と同じ。そうでなければ、インフラ化して、NeedsどころかNecessary(必要不可欠)にする必要がある。VRを用いた疑似対談型電話システムとかね。


あとこれはVRだけでなくクリエイティブなもの全般にいえること。世界設定が甘い、作りこみが雑だったりすると、それに気が付いた瞬間にぱっと夢が醒めてしまう。トシ云々じゃない。舞台劇で書き割りのつぎはぎが見えていたり、時代劇で飛行機雲や腕時計をつけている人が目に留まると、その世界観に没頭していた自分の脳内思考が、すーっと現実に引き戻されてしまう。昨今、某近代(現代?)ものの海戦的なアニメで色々と思ったのも、結局この点が大きな問題ではないかなあ、と。適当な世界観を持つ神によってつくられた世界は、得てして興ざめしてしまうものだから。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年6月21日 07:27に書いた記事です。

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