今必要なのは「上手な叱られ方」ではなく「上手な叱り方」ではないのか

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今件は海外をメインとした学生対象の、「叱る」と「注意する」の違いだけれど、汎用性の高い注意事項なので覚え書きとして。「侮辱」ってのは多分に感情論が混じった行為ではあるから、感情に走らず理路整然と為すことが大切なんだろうな。怒るではなく叱る......も感情が混じるので注意する、あるいは指摘・指導すると表現すべきだろうか。

それと、書面による強い意味づけってのは確かにその通り。昨今では電子メールすら使われることがあまりなく、ソーシャルメディアのメッセンジャーやダイレクトメールでのやり取りで、まるでその場で気軽に語ったような重みとして受け止められるけれど、物理的なモノが用意され、サインがあると、それだけ相手に時間を取らせたというプレッシャーにもなるし、記録も残せる。通し番号をさりげに振っておくと「管理して記録しているぞ」との意志表明にもなる。

まぁ、とりわけ「(1)個室に呼ぶ(他の学生の目の入るところで注意しない)」ってのは、先生対生徒に限らず必要な対応には違いない。中には「周囲への注意喚起になるし、注意された本人にも重要に受け取ってもらえる」と正当化するかもしれないけれど、多分に当人には「さらし者にされた」との理不尽さが募るばかりとなる。


叱る・注意する・指導するの話と深い関係があるものとして。たまたま偶然に挙がった話題として、「新卒は怒るとすぐに辞めるので、新卒側に正しい叱られ方、上手に叱られる方法を教えるべきだ」とするお話が挙がった件。そもそも「上手に叱られる」という言葉そのものに違和感を覚えるべきなんだけど、その点にすら気が付いていないあたり、状況はスペシャルなほど深刻なのかもしれない。

上司側は多分に「自分達はこんな風に叱られていた、だから自分達も同じように叱っている」と主張するだろう。しかし「環境は昔と今とで大きく違うので、同じ手法がそのまま通用すると考えている方がおかしい」「本当に今自分がやっている叱り方は、かつて自分が受けたお叱りの方法そのままなのか」「生存者バイアスがかかってないか(今件の場合は、元々間違っていた叱り方に適応した人が上司として残っていた)」など、色々と考えねばならない点はある。

第一、昔の新卒と今の新卒では育てられてきた環境は大いに異なる。目の前にいる新卒は、数十年前に新卒だった上司とは異なるのだから。状況変化に対応できない上司にこそ、教育を受ける必要があるのではないかな。

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このページは、不破雷蔵が2016年7月 9日 07:57に書いた記事です。

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