「叱る」と「注意する」はどこで線を引いたらわからないけど、たとえ上下関係(指示系統下での関係)があっても、儒教文化外の国で相手を侮辱するような言い方をすると、すぐ逆ギレされますよ。立場が上の人からの侮辱に耐える教育はされてないから。
— yk_ga (@yk_ga) 2016年7月7日
学生の態度や行動に問題がある場合に心がけているのは(1)個室に呼ぶ(他の学生の目の入るところで注意しない)、(2)学生のどこに問題があるのか明確にする、(3)どう改善したらよいかこちらから具体案を出す(4)それでも改善が見られない場合、こちらが取るアクションを明示する。
— yk_ga (@yk_ga) 2016年7月7日
比較的最近知ったのだけど、口頭での注意ではなく、書面(サイン入りの手紙)に起こすとより強い意味になる。学生側も何度も読み返せるし、そして最悪学生を退学させないといけない場合に、こちらがあらかじめ警告を行ったことが記録として残る。
— yk_ga (@yk_ga) 2016年7月7日
今件は海外をメインとした学生対象の、「叱る」と「注意する」の違いだけれど、汎用性の高い注意事項なので覚え書きとして。「侮辱」ってのは多分に感情論が混じった行為ではあるから、感情に走らず理路整然と為すことが大切なんだろうな。怒るではなく叱る......も感情が混じるので注意する、あるいは指摘・指導すると表現すべきだろうか。
それと、書面による強い意味づけってのは確かにその通り。昨今では電子メールすら使われることがあまりなく、ソーシャルメディアのメッセンジャーやダイレクトメールでのやり取りで、まるでその場で気軽に語ったような重みとして受け止められるけれど、物理的なモノが用意され、サインがあると、それだけ相手に時間を取らせたというプレッシャーにもなるし、記録も残せる。通し番号をさりげに振っておくと「管理して記録しているぞ」との意志表明にもなる。
まぁ、とりわけ「(1)個室に呼ぶ(他の学生の目の入るところで注意しない)」ってのは、先生対生徒に限らず必要な対応には違いない。中には「周囲への注意喚起になるし、注意された本人にも重要に受け取ってもらえる」と正当化するかもしれないけれど、多分に当人には「さらし者にされた」との理不尽さが募るばかりとなる。
「上手な叱り方」セミナーの方が必要ではないかと思う系当職 .@DustCroon さんの「新入社員を叱るとすぐやめてしまう...→上手に叱られるセミナーをやります」をお気に入りにしました。 https://t.co/tAYaiWrwsX
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年7月7日
部下より先に上司の教育が必要。「怒ると叱るの違い」「パワハラになる線引き」「法令遵守の最低限の知識」等を正しく教育していれば、大多数の部下はちゃんと従っ..「新入社員を叱るとすぐやめてしまう...→上手に叱られるセミナーをやります」 https://t.co/FLOhN5A6Zi
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年7月7日
叱る・注意する・指導するの話と深い関係があるものとして。たまたま偶然に挙がった話題として、「新卒は怒るとすぐに辞めるので、新卒側に正しい叱られ方、上手に叱られる方法を教えるべきだ」とするお話が挙がった件。そもそも「上手に叱られる」という言葉そのものに違和感を覚えるべきなんだけど、その点にすら気が付いていないあたり、状況はスペシャルなほど深刻なのかもしれない。
上司側は多分に「自分達はこんな風に叱られていた、だから自分達も同じように叱っている」と主張するだろう。しかし「環境は昔と今とで大きく違うので、同じ手法がそのまま通用すると考えている方がおかしい」「本当に今自分がやっている叱り方は、かつて自分が受けたお叱りの方法そのままなのか」「生存者バイアスがかかってないか(今件の場合は、元々間違っていた叱り方に適応した人が上司として残っていた)」など、色々と考えねばならない点はある。
第一、昔の新卒と今の新卒では育てられてきた環境は大いに異なる。目の前にいる新卒は、数十年前に新卒だった上司とは異なるのだから。状況変化に対応できない上司にこそ、教育を受ける必要があるのではないかな。
コメントする