数年前から「最近の人皆電車でスマホいじってて怖い」と言っていた母親が先日スマホデビューして様々な便利機能を目の当たりにし「やっと分かった、あれは読書や音楽や新聞や手帳や勉強が全部スマホになっただけだ」って言ってて、やっぱ自分で使うと好意的に見るようになるんだなって思った
— めばた瞬@8/12東ケ-54b (@mebata) 2016年7月11日
久々に心の奥底に五寸釘を刺されたようなダイレクト感と、フリスク1ケースを一気に口の中に含んだようなすっきり感を覚えた指摘。確かに電車の中を改めて見渡すと、多くの人がスマートフォンを手に取りじっと見つめ、ちょいちょいと指を動かしている。ポーズにさほど変わりは無く、みな同じような姿勢をしているので、ぱっと見では薄気味悪く思えてしまう。
でもこれって、かつて色々な姿勢やツールで行われていたあれこれが、すべて同じ1つのツールで、同じポーズで成されているだけに過ぎないんだよね。
手持ちに画像がないのだけど、昔はウォークマンとかデジカメとかシステム手帳とか、手持ちのさまざまなツールがあったのだけど、今ではすべてそれがスマートフォンに集約されてしまった。だからそれらのツールは売れなくなったってのを示す、インフォグラフィック的な画像が話題を呼んだ。見方を変えれば、それらの個々のツールを使っていた人はみな、同じようにスマートフォンを利用しているのだから、多くの人が同じポーズをとるのは当たり前の話。
なにしろ第三者から見たら、スマホで勉強しようと音楽を聴こうとウェブブラウジングしようとニュースを読もうと漫画を読み進めようと、すべてスマホを利用しているようにしか見えない。欧米の人から見たら、日本人も中国人も韓国人もベトナム人もフィリピン人も台湾人もみな、アジアの人に見えてしまうってのと同じ。
だから電車などで皆が同じようにスマホをいじっているのは、何ら不思議な話では無い、というわけだ。
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