今でこそ日教組の組織率・影響力は低下しているし、1980年代の分裂騒動を経て1994年以降は文部科学省と協調路線をとっているのだが、まだ元気だった時代に強圧的な教師にひどい目に遭ったという人のイメージはなかなか変わらないわけで
— 原田 実 (@gishigaku) 2016年7月10日
先日のアンケートでツッコミを入れたところ逆に過去の問題に山ほど火が付いた、むしろこれまで黙っていた界隈が話を暴露しはじめて大炎上大会となりつつある様相を呈してきたため、慌てて「中立性なんて問題じゃない」とかいう火消しの動きが出てきて、正体見たり何とやらな気分の当職(°ω°)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年7月11日
先日の選挙が初の未成年者、場合によってはまだ高校に通っている人による投票が可能となったことから、教育機関における教師陣の政治・思想方面に係わる姿勢のあれこれに注目が集まっている。ウェブで申告をとの窓口を設ける界隈もあったので、やれ密告だなどと騒ぎ立てる動きが生じたら、それが逆にこれまで黙らざるを得なかった経験保有者による話が一気に噴き出したのも否めない。
どの方向性にあるにせよ、教育機関において政治・思想的な方向性を生徒に強要するってのは問題があることは言うまでもない。火山の噴火のように体験談が山ほど出て来て、やはりおかしいよね的なことが明らかになってくるに及び、慌てて中立性のあるなしなんて問題ないだとか、自分は全然そんなのは受けなかったよ的な主張・全体への同意を求める声が、指摘を受けるとまずいような立ち位置の人から出されて、ああやはりヤブヘビだったんだろうなあと思う次第。
#密告したかった授業 小学校5か6年生時、音楽の時間に教師が教科書の背表紙裏にある君が代のページにプリントを上から糊付けするよう指示。教師は生徒に向かって「歌いたくない人は歌わなくてよい」などと注意をした。
— クレイ (@_ku_rei_) 2016年7月10日
私も体験してます https://t.co/YM7wQ6PbA3
#密告したかった授業 で語られている内容にしても、話が盛られていたりフェイクも多分にあるでしょうけど、アカウント辿ると確証性の高いものも多いですし、当方自身も類似事案の経験を覚える物も多々あります。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年7月11日
結局、多かれ少なかれ経験していた、教育を受けていた時の理不尽さ、「神的存在」だった教師のおかしさに口をつぐんでいた、語ってもそれを伝える手立て、そしてきっかけが無かったのが、ソーシャルメディアの普及でツールが与えられ、今件で大いに機会ができたということなのでしょう。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年7月11日
無論、良い先生方もたくさんいましたが、だからといって問題のある対象、事案に目をつぶってよかったのかというとそうでは無く。//特に今後は、選挙権の下限年齢が引き下げられ、より慎重にならねばならないからこそ。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年7月11日
親が子会社出向になって沖縄に移住した際、転校先でガチガチの共産党員である担任に通信簿で嫌がらせを受けた経験があるので、若干話盛られてるツイートがあるにせよ、大方は実話だろうと思います。 https://t.co/oSortTneyq
— 横倉提督(鉄鳥撮りおじさんDubMix) (@Yokokura_Pohjan) 2016年7月11日
@Fuwarin 子供の頃ほど逃れることが出来ませんからね。いまはモンスターペアレンツとかで教師も大変なのでしょうが、私の子供の頃は、今だったら新聞沙汰みたいな先生がいたのも事実です。
— 佐久間真理子 (@sakumariko) 2016年7月11日
@Fuwarin 目を通していますが、ほぼ実話に基づいているでしょうね。ただ「ジャーナリスト」を標榜する津田大介氏が「私は、圧力を全く感じなかったので、そんな事実は無い」という趣旨のツイートをしていて、「ああリベラルという人種は、単なるバカなのか」と再認識しています。
— ぷーさん (@naniwanopoohsan) 2016年7月11日
語られている内容の少なからずはネタ的な、フェイクによるものもあるだろう。また子供時代の話なので、多分に記憶が別の物と混じっていたり、主観的にとらえてしまっているので事実とは度合いが異なるものもあるかもしれない。けれど当方自身の経験則や、語り手の信ぴょう性のあるなし、内容の類似性などを見るに、すべてがすべてネタ話とか都市伝説のたぐいとして切り捨てるのは、逆に不自然な感はある。それに個々は以前から単発的ではあるけれど、伝えられていた話とも一致する。
他方、これまでこの類の話が語られる、伝えられることがほとんどなかったのは、事件性が伴わない限り報道で伝えられることはなく、昨今になってネット調査の普及で多くの界隈でなされるようになった調査にしても、昔は子供に対しては学校経由によるものが大部分であることから、その学校・教師に対する問題を指摘することは、たとえ匿名調査でも不可能に近いから。
何しろ子供の世界にとって、教師は保護者同様に、絶対的な力を持つ、神様的な存在。場合によっては保護者以上の絶大な権力を有する、絶対王政の王に等しい。その王に逆らうことなど、誰かできようか。万が一、自分の申告がもれたら、自分の一生はダメになってしまうかもしれない。そう思う子供がほとんどのはず。ああ、これも当方自身も経験しているので、よくわかる。
無論、よい先生、素晴らしい先生もたくさんいた。でもすべてが完璧超人な組織などあるはずもなく、平均的な人ならまだしも、それを満たさない、今件で指摘されているような政治・思想的にあるべき中立性、許容されるぶれの範囲を超えた存在ってのは少なからずいる。
どこか既視感があると思ったら、これ、企業内の不正に係わる申告や、著作権を無視したコピーが企業でなされていることに対する報告の仕組みと同じなんだよ、今回問題視された仕組みって。
それと【教職員等の選挙運動の禁止等について】なども合わせ。
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