若いドクターへ。いろんな科の先生の話を私は聞きたい。無理に実名でなくてもいい。実名出したことで被害を被っても「実名で発言すべし」と言ってた人は補償してくれない。それはそれとして実名でできないような暴力的な発言は匿名でもしてはいけない。それだけのことだよ。
— なとろむ (@NATROM) 2016年7月12日
先日某地方議員だったかな、の人が自分の考えと異なる主張をしていた医師の実名を不特定多数に暴露した上で色々と間接的な圧力をかける、嫌がらせ的な行為を成したことに関連して、「実名利用者と対峙する際には実名で無いとダメだ」「実名を挙げねば卑怯者だ」的な、実名至極主義的な話が挙がってきた関連で。実名を出せと強要する筋合の多分は、出したところで個人を特定してその周辺界隈に嫌がらせをするというのがパターンになっているので、実質的に実名請求は脅しに等しいものがあるんだよね。で、実名が暴露されたことで何か被害を受けたとしても、強要した側、暴露した側は何の責任も取らず、罪の意識も無いのが実態。
指摘の通り、実名であろうと匿名であろうと、人としてやってよいことはやってよいし、やっていけないことはやっちゃいけない。匿名は実名と比べるとカバーされている領域はそれなりにあるけれど、その奥にあるのは個人に違いなく、倫理観なりが関係無い訳じゃない。ハンドルネームなども無く、不特定多数の中にうずもれるタイプの非実名、いわゆる「名無し」であっても、状況次第では法的なレベルで追及が成され、個人が特定されることもある。要は、仮面を被っていれば銀行強盗や痴漢をしても良いのか、ということなんだよね。
実名・匿名論争と言うのは、インターネット民間開放初期にもありまして。
— KGN (@KGN_works) 2016年7月12日
「インターネットでは本名を出せ!」と、(当時はとても少なかった)匿名女性ユーザに迫り嫌がらせメールを送り付けまくるような奴も、ゴロゴロおりましたよ。
もちろん、奴らは女性ユーザに何の保障もしませんでした。
1999年くらいまで、若い女性と睨んだユーザに対して、超ウエメセで「本名を出せ!それが常識だ!」と嫌がらせする(本人に自覚なし)おっさんユーザていたんですよね(高校生にとって大学生はオジサンです)。
— KGN (@KGN_works) 2016年7月12日
泣き付かれて、「スケベじじいは放っておけ」と何度言った事やら。
今SNSなんぞで「医師は匿名で発言すべきではない!」とほざく連中は、20世紀末に下心むき出しにして若い女性の本名と所属を晒せと脅して回ってたバカと同じですよ。
— KGN (@KGN_works) 2016年7月12日
ほかしておいていいです。
「本名と肩書を出せば信じてやるってんだよ!」と言葉を変えてくる人もいるようですけど、これ
— KGN (@KGN_works) 2016年7月12日
・書いてある文言の真偽を判断する能力がありません
・チャンスがあれば相手を脅せる立場に立たないと気が済みません
と読み変えて結構です。肩書関係なく中身読めよということ。
ハンドル(ペンネーム、スクリーンネーム)で活動してるから、なんてのは自分の本業周りの事をちゃんと知らずに適当なことを吹き散らかして良い理由になんざ、これっぱかしもなりゃしません。
— KGN (@KGN_works) 2016年7月12日
てことが判ってりゃあ、別に御本名と所属を晒していようが、名無しの冥王星人を名乗ろうが、同じ事です。
「匿名のアカウントの発言なんか信じられるか!」てのはこれ、
— KGN (@KGN_works) 2016年7月12日
「あ、君は偽名使えば何やっても良いと思ってるんだ、モラルないね~」
と思って良いですよ。
匿名だろうが実名だろうが、本業まわりでウソ言ったらまずかろ。
どこぞの弁護士先生が声高に実名主義を主張していた記憶もあるのだけど、ネットが世間一般に浸透しはじめた時にも似たような主張はあったそうだ。ただやはり、その目的というか方向性は今と何ら変わっていないあたり、人の内面はそう簡単には進化発展はしないし、同じ事が繰り返されるのだなという実感もある。
「名無し」ならともかく、個別認識が可能なハンドルネームを用いている場合、それと紐付けされて過去のあれこれが蓄積されていく。要はその名前が個人の個性、人格としての看板になる。それは実名とどれほどの違いがあるのか。そもそも名前とは個人の符牒に違いなく。それが実個人の実態(プライベートな部分、不特定多数にはさらされたくない、リスクを積み増ししてしまいかねない情報)とリンクされているか否かの違いぐらい。
例えば江戸川乱歩氏はペンネームで、実名は平井太郎氏なのだけど、同氏に「実名を出せ」との主張にどれほど意味があるのか。江戸川乱歩とのペンネームには多分に実績、経験がリンクされており、それが一つの個性となっている。
不特定多数の中に紛れた、「名無し」の書込み、発言ならば、信じられない、信ぴょう性の無いというのも理解はできる。他方、それなりに時間を費やした、経験を持つ、社会のあちこちにつながりを得たハンドルネーム、ペンネームなどの匿名利用者に実名を出せというのは、筋が通らない。あるいは脅しと同じと見ても良いのではないかな。
「名無し」ならともかくハンドルネームなどであれば、匿名だから信頼性が無い云々では無く、中身を見て精査すべきってのはまったくの同意。むしろ、実名を鼻高々に主張してそこに語りの信ぴょう性を与えてるようなものは、文面や主張そのものに自信が無い、疑わしさを覚えると見ても良い気はするのだけどね。「中身を見て」じゃなくて「俺は正しいような人物だからまずは信じろ」ってのは、単なる権威主義でしかない......
......ってああ、そうか。この実名至極主義って結局、肩書主義と同じなんだな。肩書で底上げできないから、実名・匿名で差異をつけようとしているわけか。
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