「人生に、文学を。」と「(アニメか?)」の限りない蛇足感と

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文学関連の啓蒙・啓発企画としての「人生に、文学を。」。それ自身は決して悪いものでは無く、むしろスタイリッシュな感じがして好感が持てたのだけど、第一報を目にした時の伝えられ方はまったく逆で何それ酷いという感じのもの。で、調べてみたらこの状況だった次第。

電通の子会社の電通テックによるもので(ドメイン取得者。文面まで電通テックか否かは不明だけど、電通絡みには違いない)、多数の有力企業も参賀している。けれど、ねえ......文学称賛大いに結構なんだけど、その持ち上げのために、他の文化をさげすむようでは興ざめしてしまう。まさにアニメを叩いて文学を持ち上げる手法など「そんなの嫌だね。つまらないじゃないか。」との感想を持たざるを得ない。

本当に「(アニメか?)」のこの部分だけが蛇足なんで、これが無ければまったく問題は無かったのに。「蛇足」という言葉の良い見本になる事例に違いない。

日本文学振興会にこの文章の意図について問い合わせたところ、アニメを差別、蔑視(べっし)する意図はまったくなく、それが目的ではないとのこと。「アニメが人生を想像する手立てになり得ないとは誰も思っていない」として、アニメだけでなく、別の長所や特徴を持つ小説もその手立てとしてあるということを伝えたかったとしています。


なぜ"アニメ"を引き合いに出したかについては、いまアニメが非常に強い影響力を持っており、「面白いアニメがあるのだから、文字で表現された小説にいかない」という傾向があると感じているからだと説明。また、「アニメか?」という言い方については、「アニメだけでいいのでしょうか?」ということで、コピーライティング上この表現になったということでした。


一応振興会側からはこのような釈明が出ている。釈明内容を読む限りではそのような解釈も可能だよねとは一理ある感を覚えるのだけど、二理以上はないのだよね。むしろ一人のデザイナーが全部自分だけで手がけて世に出した企画では無く、多数の人の手を渡り、チェックを受けた上でのものなのだから、その過程で「これ、まずくない?」「誤解されかねないでしょ」との意見が無かったこと、あるいは指摘があってもそれが通らなかった感性そのものに問題がある。炎上商法では無いとも説明しているけれど、炎上商法でなければ精査能力不足が、やはり炎上商法ならば程度が知れる形となってしまう。


結局のところ、つい企画側の本音が出てしまい、精査にも引っかからなかったのか、悪質系まとめサイトにもよくあるパターン「創り手が内容に関してよく理解できていないけど、素材とノリで何となく作っちゃった」って感じなのかなあ。文学が芥川賞と直木賞限定云々ってのはまだしも、「(アニメか?)」が無ければそれなりにまとまった、よい企画であるのに。本当に惜しい。

今後事あるたびに「(文学か?)」とか、さらには「(電通か?)」とか言われかねないのだよねえ......。まったく。

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このページは、不破雷蔵が2016年7月21日 07:49に書いた記事です。

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