今件事案で加害者側の過去のなりとか写真とか文集とか出てこないのは、相応の配慮があるからなのでしょうけれど、それは同時に「事件を記憶に刻むために色々と掘り起こす」報道側の大義の境界線を、報道が自由に線引きできるという、憂慮すべき状況をあからさまにしたことでもあるのですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年7月26日
先日発生した神奈川県での某重大事件。事件からまだ間もなく、今後色々な問題との兼ね合わせも合わせ、事実関係が明らかになってくると思うのだけど、違和感を覚えるところも少なくない。これだけの重大事件となれば、必ずといってよいほど連日連夜伝えられるはずの、加害者側の過去における動向や人となり、関係者の話、文集などなどの類に係わる動きが無い。
これは被害者・加害者双方に色々と伝える際における相応の配慮があるからだと考えられる。それは理解できる。けれど同時に、事件をより多くの人に刻ませるために、実名報道はもちろん、多種多様な人物のあれこれを掘り起こすという、報道側が逐次、自らの行動の大義名分として語っているものが、吹き飛んでしまう感はある。
その大義の境界線はどこにあるのか。報道側が自由に線引きできる、つまりは自由配慮で好き勝手にできるという、明らかに憂慮すべき状況には違いない。
災害や事故で被害者の「人となり」、実名を報道することで亡くなった人を悼む気持ちが強まると思うんですよ!みたいな主張してたメディアの中の人、今回の事件を受けてどうしてるかなーと思ってツイートみたら、そんなことは一切主張せずあたりさわりないことツイートしとった。やっぱいらないんじゃん
— タビトラ (@tabitora1013) 2016年7月26日
障害者でも「人となり」を報じろ、ではなく、誰であれ「人となり」を報じるなってこったよな。これ、別に被害者に限らず、加害者だって報じる必要なんかない
— 各務原 夕@向上心のないゾンビは馬鹿だ (@nekoguruma) 2016年7月26日
加害者の「人となり」とやらを報じたところで、類似する趣味や嗜好、あるいは過去持ってるからって、誰もが犯罪起こすわけじゃないしな。オタクやってりゃ一度は憤ることである QT @PGERA_RX: @nekoguruma 知ってどうなるってもんじゃないもんなぁ・・・
— 各務原 夕@向上心のないゾンビは馬鹿だ (@nekoguruma) 2016年7月26日
確かに、過去の事件報道については、マスコミは共感を理由にして被害者を実名で、かつSNSとかから拾ってきた「人となり」を伝えていたけど、障害者が被害者となった今回の事件では、一切出ていないあたり、「共感」とはなにか、という問題が露呈しまったか
— dragoner@8/13 西ま35b (@dragoner_JP) 2016年7月26日
報道によって多分に該当者が傷つき、十字架を背負うことになっても、それは「事件をより多くの人に刻ませるため」という大義名分があるから許されるとの考えであるのなら、それは罰の執行権を有しているに他ならない。つまり報道界隈はいわゆる三権分立のうち、司法と立法の双方を、独自解釈の権限の上で有していると見なす事もできる。俺達が法だ、法は俺達が決めて、俺達が裁く。そんな感じ。
ならば今件も従来事件の報道のように詳細に伝えるべきだとでも、というわけではない。むしろこれまでの各種事件報道も、今後も、被害者や加害者がどのような状態、立ち位置であったとしても、今件同様の十分な配慮がしてなされるべきに違いなく。「配慮なんてできるわけないじゃん」というのなら、今回事案に関して、過去の重大事件の時のような、被害者や加害者に対する報道姿勢を示さず、半ば以上自粛しているのは、どう見ればよいのだろうか。
「記録に残すという使命」みたいなご大層なことを言うてた方々、如何お過ごしのことでしょうか。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
障碍者が障碍者を黙々と大量に死傷して回ると謂うどこにも感動のない残酷な現実とちゃんと向かい合って報道出来るほど腹の出来たジャーナリストなんかいるのかね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
今回の事件、結局子細に検討していくと、何をどうしようと防げなかったし、今後同じような事件が起こるとしても防げないって結論にしかならないと思うんだが、ちゃんとそう言えるジャーナリズムってあるのかねぇ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
昔からこの手の凶悪犯罪が起こると、マスコミではその異常性や非人間性をこぞって強調して報道するが、異常で非人間的であればあるほど刑事責任を問えるかどうかが問題になってくるんだがなぁ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
多分「記録に残す使命」の対象となる人の生のあり方と見做していないんだろう。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
しつこく再掲するけど、マスコミが被害者の実名だの「人となり」だのを暴き立てるのに逡巡するのって、要するにこう謂うことだろ、クソが。https://t.co/XmqkgS4Z67
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
「バレー部のキャプテンで誰にでも優しくて好かれていてこの春就職が決まったばかりの惨事でした」みたいな話が語れないから黙ってんだろう。胸糞悪くて吐きそうだぜ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
これだけ身も蓋もない過酷な現実を突きつけられても貫けないような胸糞の悪い嘘っぱちの綺麗事なんぞ金輪際その口で言うんじゃない。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
なんでこんなに腹を立てているかって言うとな、「人となり」「記録に残す使命」式の理屈には「マスコミの報道が個人の生を意味附ける」って驕りがあるからなんだ。冗談じゃないんだ、おまえらに赤の他人の生を意味附ける資格なんかないんだ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年7月26日
@chronekotei 激しく同意
— なつみ (@natsumitakigawa) 2016年7月26日
なんでこういう時は「被害者のアルバム」とか出てこないのかと
この間の人質襲撃事件の時なんか、外務省からの要請をぶっちぎって、被害者の個人情報ダダ漏れにさせてたのに
「お涙ちょうだい物語」をでっちあげる材料にもならない...と見なしてるのかな、と思いましたね>いつもは意固地になって被害者の人となりをほじくり出すマスコミが、今回はノータッチ
— KGN (@KGN_works) 2016年7月26日
しょせんその程度の連中。
他人様のプライバシーに踏み込まずに大騒ぎせずにおれと。
方向性は随分と異なるけれど、例えば国会での「女性の壁」事案の際に、女性の権利を高らかに語る団体がおだんまりを決め込んだり、報道界隈もほとんど問題視しなかった時のように、絶対正義とか社会的正義、倫理観を御題目に挙げておきながら、実態としては自分の都合の良い「叩きツール」「稼ぎ道具」としてしか使っておらず、その判断は好き勝手に行えるってことを暴露してしまったわけなのだね。まぁ、スマップの離脱問題も良い例かな。
朝日新聞さんがなぜ実名報道をするのか、開き直られた解説はこちら。 / (Media Times)犠牲者名公表、あるべき形は バングラテロ、報道が政府に先行:朝日新聞デジタル https://t.co/tIuLWCfrxr
— 三河人@いくじなし (@mikawa_1964) 2016年7月26日
ゼネラルエディターさんのコメントがすごすぎて全く理解できない。
— 三河人@いくじなし (@mikawa_1964) 2016年7月26日
「人格の象徴である氏名や人となりなどを知ることで、志半ばで理不尽なテロによって命を落とした7人の無念さを社会が共有し、再発防止策、安全対策を探ることができると考えます」て。
ちなみに。報道界隈が実名報道や被害者・加害者の掘り起こしを殊更に行う大義名分の一端が見えるのが、指摘されている主張記事。「私たち記者は正義、がんばる」なんだよね、要は。その正義は本当に正義なのだろうか。記者界隈にとってのみの正義となっていないだろうか。
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