福島瑞穂氏の小池百合子氏への発言が物議「中身がタカ派の男性」 #ldnews https://t.co/2ExU8HKPso J-CASTでようやく出た。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年7月26日
今回の都知事選では前回以上にジャーナリズムやら各党派やそれに絡んだ団体のひずみやら問題が暴露されて、総括材料が山ほど出てきているなあという感はある。それと共に、先の参議院議員選挙同様に、一億総カメラマン・テレビ取材班的なところもある。
今件の「中身がタカ派の男性」 もまたしかり。発言そのものは数日前で、話題に登ったのは週末辺りから。ただし一般報道での動向はほぼ皆無で、ようやく週明けになって、J-CASTが伝えはじめた程度。都議会の会議中の発言や、党内ビルでの関係者以外立ち入り禁止の部屋での会話ですら掘り起こして大騒ぎして繰り返し糾弾する報道界隈や、関連団体が、異様なまでに黙っている。「聞いてなかった、知らなかった」は通用しないよね。何しろ公然の場における、不特定多数に向けた国会議員による発言なのだから。
仮にこれが、逆の立場にある人が語ったら、どうだろうか。具体的には政権与党の関係者、議員が口にしたら。当然、連日連夜報道や関連団体が大騒ぎするだろう。しかし今件はおダンマリ。不思議でしかない。伝える側の解釈、言い訳として「ネタとして面白くない」が出てくるとしたら、それは単なるエンタメの理屈でしかなく、報道の肩書を背負って仕事をする資格は無い。都合の良い時だけその肩書を使うのは、卑怯者でしかない。
本質的には、例えば先の国会における、女性の権利を濫用・悪用した「女性の壁」の際の報道姿勢と同じ。ある特定勢派、政権与党には「報じる」「叩く」修正がプラス10ぐらい働いていて、とにかく叩く叩く。それ以外はプラスマイナスゼロ、そして政権与党と対峙している側、例えば今件のような事例ではマイナス10ぐらいの修正があって、ほとんどど伝えられないし、反復報道もなされないし、追及もされない。
それは果たして「報道」と言えるのか。「言論」ならまだしも、「報道」には値しない。「報道」のふりをして、報道だからこそ与えられている権限、特権を使いたいように使っている「言論機関」に過ぎないのではないか。そう考えても不思議では無い。ならばその「報道」を自称する界隈には、報道だからと本来与えられている特権など、使う権利は無いのではないか。
例えるなら、色々と身体的に難儀していることに配慮する形で行政側が与えている、駐車時の優遇措置が受けられる人が乗っている自動車に貼れるあのシール。あれを似せて作って、普通の人が特権を悪用しているような感じではある。あるいは車椅子の方の専用駐車場を、普通の人が占拠してしまうようなもの。さらにはシルバーシートに横倒しになって寝る、ヨッパライのようなものでしかない。
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