図らずも今回の事件報道でわかってしまったことは、「被害者の氏名や来歴など、殺人事件を報道する上では必ずしも重要じゃない」ということで、そこからマスコミ関係者が考えるべきことは、「じゃあなんでいつもそんなバカなことやってんだ、もっと他にやるべきことがあるんじゃないか」ってことで
— iJoh⊿nnes(メモリが不足していま (@Johannes0908) 2016年7月26日
先日の【新たな報道名言「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります」が誕生しました】でも言及した、報道業界における被害者・加害者のプライバシー侵害、実名報道の問題。過去の同様な主張も合わせ、色々と近しい期間でも類似の話が出てきたので、後ほど同じような事案が発生した時のための、覚え書きとして。
端的な一側面としてはまさにこんな感じで。実名報道とか被害者のひととなりが必要でなかったじゃないか、これまでのあれこれはいったいなんだったんだ、的な。
これまで実名報道されてきた被害者。報道された要素を考えると。
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
・実名
・性別
・年齢
・住所(大体)
・勤務先、職種
・顔写真(どんな昔のものでもとにかく出す)
・友人知人のコメント
・家族なり肉親のコメント
・葬儀場外の光景
・なぜ事件現場にいたのか犯行状況をCG等交えて詳細に
(続)
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
・仕事、部活、学業等の様子。美容師になるため学校に通っている、など
・将来の夢
・上記に纏わる子供時代の文集など
・自宅外観(ぼかし入りでも近所の人間なら一発でわかるレベル)
・犯人との関係(あれば)
こんな感じか?
先日のダッカの事件では、実名報道について、マスコミにはこういうことを書くものがあった。
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
【ダッカ人質テロ】被害者名非公表 国民が危機感を共有すべき事態に全てを政府に任せろというのか? 社会部長・三笠博志 - 産経ニュースhttps://t.co/FwcU7XJwB3
このタイトルもすごいが、実名報道の必要性を言っている部分を本文から抜き書きしてみると。
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
・政府は犠牲者の氏名や年齢といった重要な「事実」を国民に公表していない
・(被害者は)「男性5人、女性2人」という数字だけの存在ではないhttps://t.co/FwcU7XJwB3
・(匿名では)誰がなぜ惨劇の犠牲になったのかという経緯はおろか、本当に日本人が殺されたのかということさえ検証できない
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
・犠牲者家族への配慮も十分に行われなければならない。その前提となるのは、誰もが納得できる「事実」が示されることだhttps://t.co/FwcU7XJwB3
ということなので今回については、
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
・県警は重要な情報を国民に公表していない
・被害者は数字だけの存在ではない
・匿名では経緯はおろか本当に施設利用者/障害者が殺されたのかすら検証できない
・被害者家族への配慮は必要、その前提として誰もが納得できる事実が必要(実名出せ)
では?
でもそういう流れにはなっていないわけだよね。仕事で海外行ってた人たちと、障害があって施設に住んでた人たちとでは、「事情が違う」とマスコミは思ってるわけなんだよね。その「違う」ところをなぜどんなふうに違うのか言語化してみなよ、とは思うね。でなきゃこれまでのハイエナも筋がなくなるよね
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
将来のある学生・社会人が無惨にも、とか、病気や障害を持ちながらも家族と幸せに暮らしていた人が理不尽に、というような、世間の涙腺に訴えるストーリーが作りにくいから今回はいいです、下手にやって叩かれたくもないんで、これレアケースなんで、って正直に言えばあ?という気持ちではありますね。
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
常に人間を(それも事件事故に巻き込まれて極限状態にあったり死んだりした人間を)視聴者の求めている(と何故か考えている)お涙話や気持ちよく怒れる話を構成する要素としてしか扱わないのやめてくれないかな。そのためだったらボロボロの遺族にもクソ失礼な突撃取材までするくせに今回はこれかよ。
— 九曜 (@navagraha_) 2016年7月27日
実名発表と実名報道は異なる、という重要な大前提がコンパクトにまとまっている
— Mano Shinsaku / 真野森作 (@Tokyo_dogpillow) 2016年7月27日
◇「匿名発表」の問題点を指摘 新聞協会が冊子「実名と報道」刊行 | 調査・研究結果 - 放送研究と調査(月報)メディアフォーカス | NHK放送文化研究所 https://t.co/4c0CezVJhT
リンク先より抜粋
— Mano Shinsaku / 真野森作 (@Tokyo_dogpillow) 2016年7月27日
《実名が発表されても必要な場合は...匿名にしているケースも少なくないとしている。書かれる側の痛みと公共性や公益性とを比較しながら...判断をその都度...「実名報道の責任は,そう判断した各報道機関にある」と責任の所在を明確に...関係者に「実名発表」への理解を求めている》
『「実名発表」が直ちに実名報道に結びつくわけではなく,実名が発表されても必要な場合は新聞社や放送局の判断で匿名にしているケースも少なくない』 お説誠にご尤もなのだが、報道機関が実名報道を愉快犯的に濫費したから信用を失ったのでは? https://t.co/LKJnrsHGDU
— 小迎ちゃんパパ18歳 (@nakamukae) 2016年7月27日
社会正義ってもんがあるでしょう。実名報道の必要性も意義もあるのでしょう。でもそれを遊びで振り回していたから批判の声が多くなっているのでは。被害者のプライバシーはマスコミのおもちゃじゃないんだって。責められてるのは実名の必要性の原則じゃないんだよ。それを扱うマスコミの姿勢なんだよ。
— 小迎ちゃんパパ18歳 (@nakamukae) 2016年7月27日
@Fuwarin 半月前に産経新聞が同じようなコラム載せてましたね / 【ダッカ人質テロ】被害者名非公表 国民が危機感を共有すべき事態に全てを政府に任せろというのか? 社会部長・三笠博志 https://t.co/LZLikAXyAW via @Sankei_news
— DJ-Kaz (@djkaz) 2016年7月27日
@Fuwarin 前回のテロ時もそうでしたが、公式に実名公表をしないと言っているにも関わらず、名前が出るのは本来情報流出そのものなのに、なぜか当然のような態度ですよね。
— 島風 那智 (@nachi_shi) 2016年7月27日
複数の方々の言及やちょっと前の事案に対する姿勢宣言などが持ち上げられているけれど、結局のところ、今回の事案で匿名の尊重とそれの実施、「人となり」の非報道扱いによって「判断は報道が好き勝手にやっている」「ダブルスタンダード」「社会正義など大義名分では」という実態が暴露されてしまった。これって先日のスマップ問題と同じようなケースなんだよね。普段崇高な意思実現のため、社会に貢献しているからとお題目を挙げておきながら、結局はそれをツールとして使っており、実態は好き勝手で判断している、自我のために行っているに過ぎないことがばれてしまった。
加えて、インターネットの普及浸透で、「実名」などのプライバシーに相当する情報がもたらす影響力が過去と比べて大きくなったため、「報道界隈が主張する必要性」の相対的優位性が無くなったってのもある。しかし、報道界隈の多分はそれに気が付いていない。あるいは気が付いていても、それを認めると自らの優位性を破棄しなければならないので気が付かないふりをする。だからこそ意固地に「私達記者は正義、がんばる」になってしまう。
報道界隈が振り回していた「社会正義」の名の下の実名報道という暴虐的行為の正当性が、今件事案でまったく無意味のものであることが明確化されてしまったわけだ。
念のため。今件事案に関して実名報道をせよとの主旨では無い。むしろ逆で、今件は匿名報道でよく、今後も類似事案に関しては、押し並べて匿名報道でなければならぬという意味。そしてこれまでの実名報道に関する総括も求められる。
報道被害の加害者はマスコミ。だけどマスコミには自分たちが加害者になり得るという知恵が働かない。自分たちが加害者になった時の罪の償い方が存在しない。ホント勘弁してくれよ。
— 3pF (@3pF) 2016年7月28日
「事件の重さを伝えようとする記者の試み」というセリフのあほらしさ。記者の仕事は事件をありのまま伝えることであって、「重み」を勝手に付けたり取り外したりすることじゃない。今まで「この事件は重いよね」、「この事件は重くないよね」、みたいなことをやってきたってことを自白しているのか。
— 3pF (@3pF) 2016年7月28日
ネットが普及する前は事件事故による悲しみ苦しみを知るすべも知らせるすべもなかったからメディアによる実名深堀り報道は意味と価値があったのかも知れないけど、個人が望むなら自由に知ることも知らせることもできる今日においてはそこに意味と価値はもうほとんどない。
— 三重県民@おっぱい探求者 (@Mie_Kenmin_MK) 2016年7月28日
あるとすればそれはエゴだ。
そして例の発言に限っても(昨今の報道界隈の姿勢が凝縮された形ではあるけれどね)、よくよく考えてみると、「記者の試みが困難になる」ので「匿名はイヤだ」ということで、「記者の試み」そのものの正当性は立証されてないのだよね。「事件の重さを伝えよう」。これは確からしさの点では考慮の余地があるけれど、それとて多分に報道サイドのエゴでもある。まずは事実を正しく伝える事。それを吹っ飛ばして俺達の考えた「重み」を知れってのは、料理店に入ったら今日のおすすめを強引に薦めてくる店主と変わりは無い。
そしてその方法論として「被害者の人となりや人生を関係者に取材して」のみに限定し、それが困難になるから匿名はイヤだとする。「自分達が見つけた容易なテンプレが使えなくなるのでイヤ」を意味することになる。その容易な手法による弊害が大きくなっている現在においても。
それほどまでに自意識的な使命感で「実名報道をしないといけないのです」と思うのならば、まずは報道界隈自身における実名報道をなされてはいかがだろう。恐らくは望んでいないであろう、多様なプライベート情報の開示も合わせ。隗より始めよ、だね。要は「実名報道の必要性、正当性」は報道従事者の表現能力不足を実名表記やプライバシーの露出で補おうとする事、そして多分な被害が生じる事に対する正当性、免罪符でしかない。
孫子の「兵は拙速を尊ぶ」にもある通り、他の媒体でその速さを超えるものが無かった時代は、新聞の傍若無人ぶりや正確性の欠如、チェック体制の問題も、「速いから仕方ないよね」で勘弁してもらっていた感がある。しかし今はネットがあり、その速さ故の「勘弁してあげる」理由が無くなった。にも関わらず、特権にしがみつく報道界隈が、詭弁を繰り返している、その象徴の一つが「実名報道と『人となり』」ではないのかな。
日本のマスコミ関係者が全員信用に値しない、とは考えない。
— へぼ担当@育児中 (@hebotanto) 2016年7月28日
ただし、私自身は運が悪いことに、大事件(殺人含む)が周囲で発生2回。
うち1回は名誉毀損以外の何物でもない誤報があり、深刻な報道による冤罪発生。
死人に口なしだが、せめて墓前に花を手向けて謝罪するぐらいは徹底して欲しい。
「日本のマスコミ関係者が全員信用に値しない、とは考えない」これは同意です。同時に「私達記者は正義」や本日の「匿名発表」のような、記者、報道の本質を疑われる発言が報道界隈の上層部から次々に出て、それを諌める動きが内部に見られない事から、相当な比率で信用に値しないとの判断ができます。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年7月28日
そして。この類の話になると必ず「全部が全部では無い」との意見がある。それは否定しない。けれど同時に、今回挙げたような数々の主張が報道界隈から続々と輩出され、しかもそれが報道組織全体の意見のような形で呈され、あるいはかなり上層部にいる方の見解として呈される。そしてそれを否定するような意見はほぼ無い。となれば、相当な部分にまで劣化が進んでいる、あるいは元から劣化していた、全体的には問題視される状態として認識してもかまわない状況なのではないかな。
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