それぞれのツイートに連なるレスの部分も合わせ見て、ちょいと考えた事。先日のゲームコピー話などとも多分に被るのだけど、物理的でないもの、姿形が見えないもの、例えばサービスや技術的な施策に対する対価を軽んじるのは、多方面に係わる問題かな、と思ったりする。パソコンやスマホのサポートに関しては、極論としては自動車のように免許制にして、免許取得ができる技術を持っていない人には、そもそも購入させなければ問題は桁違いに減少するに違いない。技術が無ければ操作する資格が与えられない、それ位高度なものだからとの認識。でも、それは実質的に無理。
他方、スマートフォンやパソコンは、自転車や電子レンジのような高い普及率を示し、生活に欠かせない存在であるには違いなく。でも、相応の技術が無いと使う事自体が難しいのも事実。そのギャップが、「昔の家電店ではサポート等は無料(どの道ハードルはさほど高くない)、あるいは商品購入そのもので担保」「スマホやパソコンのサポートは有料」「なぜ昔の家電店のように、サポートを無料にしないのか」といったクレームにつながるのかも、と。
もっとも、昔の家電でもそれなりに技術は必要としていたし(なので技術力の点で卑下をしているわけではない)、家電店のサービスが無料に近いのは、商品そのものの価格に上乗せされていた(+商品の販売企業からの多分なマージン)ってのもあるけどね。現在のパソコンやスマホの技術は高度のものであり、それは別途逐次支払いを求めるのに値するほどのものに違いなく。なにしろそれを有するのには多分な時間とお金、そして元々の能力も必要だから。
保育士の問題や、老人・養護施設の問題、技術軽視の問題も、結局は「目に見えないもの、手に取れないもの」にどこまでしっかりと対価を考え、支払いができるか否かがあるのかな、と。説明書通りにプラモデルを作るならば、よほどぶきっちょで無い限り多くの人が完成の姿を見ることができる。でも雑誌に載っているような、ウェブに掲載されるステキナイスなディテールを示すようなものを創り上げるのには、相応の経験と技能と能力とお金が必要だからね。あと情熱。
まぁ、スマホやパソコンに関しては金融商品のように、分厚い事前説明書を作成して当事者の前で読み説明し、それに納得がいったら判を押してもらう的なものにするしかないのかなあ、と。詰まる所は。
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