「若者に好かれるような会社」は「しっかりとお金を出す会社」に他ならず

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若年層の人数が減退して今までの常識では気持ちを縛りにくい、高齢層の思惑通りに会社への忠誠心を示してくれない的な話はよく耳にする。その中で「お金に執着しない」「やりがいを求めている」などと分析する界隈もよく見られる。今件もまたその一つ。

ただねえ。例えば「お金に執着しない」とあるけれど、執着する・しないの判断を下す金額が、相応のものなのかというと随分と怪しいもので。その指摘がわらわらと挙がっている。結局、金を出すのが惜しいから、金のかからないもの、リソースをあまり消費しないものを差し出して、「これが欲しいんだろう」的な誘導をしている感は強い。しかもその考え方が、かつてシニア層が若年層だった時の価値観のままだったりするから始末が悪い。

若者が「お金に執着していない」ように見えるのは、執着したところでそれを満足させるだけの効果は得られないだろうとの認識があるから。提示されている金額が、とてもじゃないけど満足できないものだから(高齢層から見れば「これで満足しないのなら、お金に執着していないのだろうな」という額が、若者からすれば大した額では無いってこと)。

要は企業のかじ取りをする界隈の価値観、物差しが、今の世情に、若者から中堅層の実情とはミスマッチしているってこと。センチ・ミリで寸法を測る世の中なのに、尺貫法の物差しを使っているようなもの。


これもまたよく言われている話ではあるけれど。お金に執着する・しないの金額基準が、若者・中堅層と、「どうして若者が......」と語る筋合とでは、ずいぶんと違うのだよね。「何よりも まずは最初に 金を出せ 事案はそれで 大よそ解決」的な。実情は「若者に 出す金惜しくて 「やりがい」や 「好きな事」とか 提供するのね 」「金代わり 出されしモノは 古(いにしえ)の 価値観だけで 固めた「やりがい」」だったりする。


ぶっちゃけると日本の社会的・経済的・文化的停滞感、低迷感、五里霧中感の多分は、これと本質を同じくしているような気がする。科学技術の爆裂的なスピードによる進歩に加え、医療技術の進展で、社会や文化、経済の概念、常識が大きく変わっている。にも関わらず、昔の概念にとらわれた、いわば「時代の重力に縛られし」人達の足かせが、若者・中堅層の大きな重荷になっている感は強い。

新しい技術への対応の鈍さ、社会制度や生活環境の停滞感がひときわ大きい日本で、一番高齢化が進んでいるのは、単なる偶然なのだろうか。時代の重力に足を奪われた人達の意見力が大きく、日本のかじ取りを留まらせているとしたら、これほど不幸な事は無い。

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このページは、不破雷蔵が2016年8月10日 07:42に書いた記事です。

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