あと、基本「ジムとジム」「公園と公園」を縫うような感じで歩いてるんだけど、豊島区って「親水公園」がやたらあちこちにある割に、まったく水を流してる形跡がない、「潰れた銭湯の浴槽」みたいになってるとこ多いんだよなあ......古いところでも新しいところでもそう。
— 加藤AZUKI【人体模型に近づくな!】 (@azukiglg) 2016年8月9日
ジムってのは連邦軍のモビルスーツのことではなく、「ポケモンGO」の拠点の話。で、その拠点となりうる公園を歩き回っても、水を流している形跡がないとの指摘。これ、実際には豊島区の役所に尋ねる必要があるのだろうけど、「事故リスクの回避」「無駄との指摘への対応」「健康リスクを除外するため(雑菌周りとか、子供が飲むんじゃないかなとか)」辺りが正解かな、と。公園の砂場問題と近しい、そんな雰囲気。
当方の行動領域内にも水回りが整備された公園は複数あるけれど、水がちゃんと流れているのは一か所だけだったかな。そのような場所でも、日曜日とかでもほとんど人はいなかったりする。子供の数そのものが昔と比べて減っているのは事実だけど、そんな急に居ないくなるわけないじゃん的な感じなので、行動性向の変化かなあ、と。
あと、「公園にトレーナーが集まると話し声がうるさいから迷惑」って言ってた人に言いたい。
— 加藤AZUKI【人体模型に近づくな!】 (@azukiglg) 2016年8月9日
セミと鳥のほうが、中学生20人より絶対にうるさいと思ったので、セミと鳥を禁止して絶滅させるべき。
また、住宅街にポツンとある系の児童公園なんかもそうなんだけど、大抵貼り紙が凄い。「球技禁止自転車禁止」から始まり「公園では静かにしましょう」(夜は、とかではなく時間指定なし)で、中には「子どもの声がうるさいので近隣住民がノイローゼになっています」ってな貼り紙もあった(`・ω・´;
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結果どうなるかというと、公園に子どもが寄りつかないわ、人が憩わないわになる。
— 加藤AZUKI【人体模型に近づくな!】 (@azukiglg) 2016年8月9日
公園は真四角なところばかりではないし、人造の丘みたいなのや不定形であるが故の死角とかもけっこあるものなんだけど、「なるべく公園に来るな」という威嚇貼り紙が多くなると、結果的に公園利用者は減る。
公園は街のオアシスとかいうけど、「うるさいから来るな、騒ぐなら来るな」ってやって人を寄せ付けなくなった公園は、結果的に「街の死角」になってる。公園側に向かって窓を開かないように(プライバシー保護)造られた家なんかは公園の様子を見えないようにしてるし、案外「どこからも見えない」。
— 加藤AZUKI【人体模型に近づくな!】 (@azukiglg) 2016年8月9日
逆に、ああいう「静かな公園」ってのは昼夜関係なく却って危ないのかもなあ。
— 加藤AZUKI【人体模型に近づくな!】 (@azukiglg) 2016年8月9日
みんなもっと公園行こうぜ。
同じ騒音でも単なる鳴き声のセミと鳥より、認識できそうでできなくてもどかしさを覚える人の声の方が、雑音としてはよりウザいという話もあるので、セミを禁止ってはのどうかと思うけど(笑)。ただ、この公園周りの規制が強化されて、結局何もできなくなるってのは、例の保育園・幼稚園問題と同じ気がするんだよね。少人数の意見が拡大されて全体の意見のように取り上げられ、それがトリガーとなって規制が設けられ、それを繰り返していくうちにがんじがらめになる。一方で、ゲートボールがブームになった時にはその類の話はあまり無かったのは不思議なんだけどね。結構早朝から玉の突く音とか競技の騒ぎとかあったんだけどな。
数年前に一時的に社会問題となった「コンビニの夜間営業禁止」的な話ってのも、結局のところは一部界隈のエゴイズムが膨張したものだったし。反対する意見、エゴの増長が、全体としての社会生活の自由度を狭めている結果になる。そのエゴを出した人にとってはその点では幸せな社会の到来に一歩近づいたんだろうけど、他の人にとってはどうなんだろう。
まあ、公園の横に住んでいると静謐を何より尊びたくなるという気持ちはわからんでもないんだけども、もし日々の生活に静謐を求めるなら墓地の近くに住むのが一番だとは思うね。
— 加藤AZUKI【人体模型に近づくな!】 (@azukiglg) 2016年8月9日
そこそこ緑があるが開けていて風通しが良く高いものがないから日当たりも良くお盆とお彼岸以外は原則人間は来ないし。
まぁ、多分に皮肉交じりのお話ではあるのだけど、ある意味もっとも正論ではある。静けさを望むのならば墓地のそば。一句できたな。
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