吉永小百合も終了か。
— mollichane@もりちゃん常時炎上 (@mollichane) 2016年8月14日
あれだけ戦争反対って叫んでたじゃん。
死ぬまで叫べば良いじゃん。
それと支持されるかどうかは別の話だけど。
【吉永小百合が「戦争反対を言えない空気」に危機感を表明】 https://t.co/26tUAyYKSH
中国船の大軍が侵入してきた事に対して戦争反対を言えない空気は確かにあると思うで
— koume@ザリガニの悪さを絶対許さない (@koume_nouka) 2016年8月14日
先日の終戦記念日に合わせ、【想いの通りにならないと地べたにへばりついて駄々をこねる子供のような...「批判自粛が広がっている」とジャーナリストや知識人が会見】や【旧来のジャーナリストで高名な人達による妄言会見と、それをメディアの危機に意見するジャーナリスト的な記事に仕立てる新聞と】で挙げたような、一部の旧来ジャーナリスト界隈における叫び的な話がちらほらと見受けられる。語っているのに語れないと主張する、一文で自己矛盾が創生されてしまうステキナイスなお話とか。
先の記事でも挙げているけれど、この「言えない空気」ってのは「言っても周囲から賛美され拍手で迎えられるような以前のような空気では無い」ってことを意味する。「中国船の大軍が侵入してきた事」云々ってのは強烈な皮肉であって、まあ本旨からはちょいと外れるけれど、ある意味そういうことでもあるんだよなあ、という感が。
戦争反対を言えない空気、じゃなくて戦争反対を言ってもウケない空気、商売としては成り立たない空気、じゃないのかな。言えるよ。言えばいいじゃない。顰蹙買ったりうんざりされて嫌われるかもしれないけど。
— hiromio (@16331633) 2016年8月15日
商売として成り立たなくなったのは、具体性がなくて自分の主張は正しくて美しいって自己陶酔ばかりが目立って、やってる方は楽しいかもしれないけど、見てる人には面白くないからではないかな。
— hiromio (@16331633) 2016年8月15日
戦争反対って言ってもウケない空気、それだけじゃ支持されない空気を「もの言えない空気」とかいうからなおうんざりされるんだよ。
— hiromio (@16331633) 2016年8月15日
「言えない空気」に関するズバリなお話はこちら。要は芸人がこれまで観客に受け入れられていたネタが飽きられてきたような反応となったので、何でだろうというところ。普通の芸人なら「今の観客にあった新しいネタを考えよう」とか「別の方面の観客に向けてアピールするのはどうだろう」とか、色々と考えるのだけど、今件界隈では「受け入れられないのは自分達の語りの内容に問題があった、環境が変化してその実態が暴露されてしまったのではなく、周囲が悪い、自分達は悪くない」と断じてしまっている。
例えばかつて大いに受けていた漫才師が、同じネタばかり繰り返していたので、段々と飽きられ、出演を断れ、仕事を乾されていく。その時その漫才師が「もの言えぬ空気が蔓延している」と主張したら、周囲はどのような判断を下すだろうか。
「商売とは別物」というのなら、受け入れられなくても語り続けば良い。ブログ、ツイッター、同人誌、雑誌投稿、動画メディア。自己主張が可能な媒体は、過去と比べて山ほど増えた。電子出版をしたってよい。そうではなく、受けなくなったので「言えない空気」と主張しているから問題だったりする。
「戦争反対」に限らず、今まで言論人とされてきた人達がこぞって「物言えぬ雰囲気」などと言うのは、単に彼らが"言いっぱなしの一方通行"で大手を振れていたからであり、きょうび双方向のコミュニケーションによって"反論されることが当たり前"になったことに適応できてないだけなのだ。
— Sunrise (@Tech_JP) 2016年8月15日
物言えぬ雰囲気じゃなくて、物言っても誰も聞いてくれない雰囲気の間違いw https://t.co/8u7jF0qsLI
— Taka (@taka3) 2016年8月15日
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」ってフィリップ・マーロウも言ってたのにねえ https://t.co/gZHGnRCRU5
— やゝも (@cleanandsafety) 2016年8月15日
よく考えたら言論人は言論でしか飯が食えないんだから、
— Sunrise (@Tech_JP) 2016年8月15日
・反論されたら死ぬ
・否定されたら死ぬ
・無視されたら死ぬ
・社会への不満がなくなると死ぬ
つまりあの人達は命乞いに必死なんだなぁ。
@nekoguruma 誤「言えない空気になった」 現実「反論されるようになり、言って一方的に他人を屈服させられなくなった」
— ut_ken (@ut_ken) 2016年8月15日
指摘にもある通り、双方向性の時代となって、今までのテンプレートが使えなくなってきた結果でしかなく。「私たちは(思い通りにいかなくなったので)怒っています」という次第。
似たような話として、自由は責任が同時に伴うものであり、自由奔放とは別物というもの。「やりたい放題、やった後に責任を取らず」を自由と思っていたのなら、大間違いということ。自由に語れるけれども、その言には責任が伴い、反論も受ける。それだけのお話。
言論に生きる言論人なら、「雰囲気」なんかに負けないで、言えばいいだけと思いますが。 https://t.co/6pGANv8HnC
— naomi (@naomi091123) 2016年8月15日
言論人が「物言えぬ雰囲気」で発言し難い、などと言うのは、自分の主張の論拠がないからだと思います。主張そのものが根無し草だから、批判的雰囲気を感じると、反論が、しがたいのではないでしょうか。
— naomi (@naomi091123) 2016年8月15日
さっきも書いたが言論人や評論家という職業は、いまや一般人が自由に主張し発信できる時代にあっては「一つの見解」に過ぎず、それに大衆が付き従うことがなくなってしまったので権威が失われた。この人達の職業は淘汰されることになる。だから居場所の確保に必死なんだろうね。
— Sunrise (@Tech_JP) 2016年8月15日
これも以前言及したし、上でもちらりと触れているけれど、メディアの選択肢の増加や情報発信手段の増加、能力向上(ぶっちゃけると大体インターネット)で、多くの人が情報を発信できるようになり、既存のメディアや言論家・評論家の特権が薄らいでしまった。ナンバーワンかつオンリーワンがワンオブゼンになってしまった。レトルトカレーはボンカレーだけだったのが、グロス単位で豊富な種類が揃うようになってしまった。となると、人々は質を求めて選択するわけで、質が相応のモノで無ければ当然淘汰されてしまう。
権威が無くなっても実力があれば、引き続き居場所は確保できるし、新たな権威を実力の下に得ることが出来る。それを成そうとせずに単に「もの言えぬ雰囲気」と声を挙げるのは、単に面倒なのか、実力が無いのか、ハリボテとなった権威を振りかざし「効果がある」としたいだけなのだろうね。
コメントする