タダ同然の医療を受け(本来数百万の物が数万円になってる時点でタダ同然と言えます)、自分個人が恩恵を受ける形での福祉を求め、カネも払わず傅く事を求め、という人もおるからなあ...そういう人はブラック労働も当然とするだろうねと。
— KGN (@KGN_works) 2016年8月22日
福祉は『社会システム維持のためにある』もの。
そこに尽きる>生活保護は世紀末ヒャッハーさん製造防止
— KGN (@KGN_works) 2015年10月27日
ご飯食べて寝床があって服が着られる、これができなきゃそりゃ荒むよ。追い詰めない、貧困を連鎖させない、てとても大切。
以前のtwを貼っておきますか。
— KGN (@KGN_works) 2016年8月22日
「福祉は社会のためにやる物」てつまりこれも含むので。https://t.co/oHC08tyFfz
社会福祉と社会秩序の話。その福祉を支えるための負担が大きすぎると、支えられる側の環境が相応に悪化して来たり、理不尽さを覚える状況となりかねず、非常に由々しき問題となるのも最近の問題ではある。科学技術の進歩や人権概念の領域の拡大、固定概念のがっちりとした固定化と、周辺環境が変化しているにも関わらず旧来の常識にとらわれたままになっているなど、理由は多種多様だけど。さらに情報伝達の多様化で、色々と見えなくても良いものが見えてしまっている辺りが、問題を加速化させている。
「無敵状態」という言葉に代表される通り、ヒャッハーな人モードにさせないための福祉。これが現実的で一番分かりやすい。昨今では仕切り分けが悪用される事例もあるけれど「健康で文化的な最低限度の生活」ってのはまさにそれの明文化。
あと、介護保険もあれはあくまで「年寄り一人を介護するために、働ける世代を何人も潰す事のないようにする制度」と思えば理解しやすいです。
— KGN (@KGN_works) 2016年8月22日
そこ考えると、どこぞの省庁が主張する在宅でコストカットというのは実はコスト増大でしかない。分散させるとマンパワーばかり食うんだがな...
@KGN_works @Fuwarin 在宅ってコストマンパワーもですけど介護をブラックにさせるみたいですよ。
— やまだ (@Seijikoment) 2016年8月23日
要は手待ち時間をサービス残業になるので
@Seijikoment @KGN_works 結局、入院が必要なレベルの病人の看護を自宅で行わせるようなものですからね......一人暮らしと二人以上暮らしのコスト勘案と同じで、必ず無駄が出ます。或いは零細農業と大規模農業と同じですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年8月23日
@Fuwarin @KGN_works そうですね。いわゆる規模の経済ってやつです。
— やまだ (@Seijikoment) 2016年8月23日
在宅をするなら零細農業と同じで付加価値をつける必要がありますから、単価は上がるんですよね。
他方、例えば介護保険周りの話に代表されるように、社会全体のリソースの分量を勘案すると、効率を優先するべきであるとの話も多々出てくる。指摘の通り在宅介護のコストは、一見するとカットできているように見えるけれど、一歩引いて考えると逆に膨大なコスト増でしかない。
兵士一人を完全に打ち倒したり、後方送りにするぐらいの大きなダメージを与えるより、中途半端に傷つけて、複数の平常な状態の兵士に負担を与えた方が、敵に与える損害は大きくなる。考え方としてはこれと同じ。
社会のリソースは限られている。その中でよりよいサービスを、少なくとも最低限の便益を提供し続けるとするのなら、規模の経済の仕組みを活用しなければならない。感情や思惑などとのバランス調整は必要になるけれど、昔と今とでは色々な状況が異なっており、昔のままの状態を維持するのには、それなりの自己負担が必要で、それは結局社会全体においては大きなマイナスになるってことを、そろそろ皆がしっかりと自覚をすべきではないのかな。
いや、自覚は深層心理の部分でしているのかもしれないけど、それをしっかりと意思判断の上で用いるべき、とすべきなのかな。
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