炎上商法の心理をちょっと考えてみる

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元々他人に意思を伝えられる言葉が存在してから、その類のものは山ほどあったのだけど、伝達のハードルが桁違い、有史以来はじめてと表現しても良いほどのレベルに下がったネット時代では、炎上商法による業火が毎日のように上がっている。にも関わらず、それが止む事は無い。これについては以前何度か「写真披露」などの事案で考えたこともあったけれど、先日某痴識人......と表現しても良い、意識だけ高い人的な文化人っぽい人が、エライ状態になったので改めて考えてみた。

結局は炎上商法って、当人がその商法をしているのか否かの認識は別として、ドーピングに近いものがあるのだろう。それをすると成果が得られた時に、その切り口を成功経験として学習してしまう。デメリットには段々と注意が向かなくなる。中毒性のあるようなもので、よほど意思が強くないと後には引けない。


ただ炎上商法って見方を変えると、楽に注目を集められる、炎上の成功確率が高いものにも他ならない。着火性・炎症性は大きく、あとは運で火がつけば良いだけ、的な。そして炎上商法でどのような結末を迎えたのかはあまり伝えられていないので、目立ったという成功部分だけが認識され、リスクを冒してでもチャレンジする価値はあるものと誤認されてしまう。これはマズイお話ではある。さらに指摘した通り、逃げ切れるとか、当事者の年齢次第では未成年者だから勘弁してもらえるとの考えもあるかもしれない。

......と。つらつらと書いていて思ったのだけど。もう一つ別の心理的な発想が想定されることに気が付いた。第三者から見れば炎上商法のように思えるのだけど、実は当事者にとっては炎上では無く、自分がコントロールしている炎のように認識している可能性がある。つまり非難糾弾の声が吹き荒れ、自分が一時的に卵の殻に閉じこもるような必要性を生じても、それはそれで成功に違いないと判断しているということ。目立つ、注目を集めるとの観点での修正値が大きすぎて、他のデメリットですら許容できるとの考えに至っている。

考え直してみれば、例のパクツイアカウント「コピーライティング」にしても、いくら糾弾されても結果として、それらによるデメリットよりもアカウントを運用し続けることで得られるメリットの方が大きいと判断したからこそ、のほほんとして継続運用されている。要は頭の中のモノサシ、秤の基準がずれているのだろうな。炎上商法を繰り返す人の行動性向は、この考え方なら妙に納得できてしまう次第ではある。

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このページは、不破雷蔵が2016年8月26日 06:54に書いた記事です。

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