「シン・ゴジラ」は語り手の鏡となる。そしてその鏡は表面だけでなく内面、本質、技能すらさらけ出すこともある。以前言及したお話ですが、それをさらに裏付けるあれこれがあったようで。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年8月24日
この状況を「ロールシャッハ・ゴジラ」と名付けることにしませう(°ω°)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年8月24日
恐らくは作り手側はそこまで考えていないのだろうし、もし深層部分で考えていたとしても絶対にそのことを口に出す事はしないのだろうけど。色々な意味で「シン・ゴジラ」は興味深い作品となっている。これまでの邦画、ゴジラ系映画とは異なる切り口、見せ方、演出である一方、少なからずの人が気が付いているのだろうけど、語り手の鏡となる作品に仕上がっている。
ある意味、あまりにも素朴で純粋だからこそ、そこに何らかの形で色合いや味付けを加えようとしたり意味を見出そうとすると、そのあれこれをする人の内面がそのまま投影されてしまうのだろう。白米と表現した人がいるけれど、まっさらな画用紙的存在かもしれない。
色々な水彩画的な模様を見せて、見た人の心理状況を分析する「ロールシャッハ・テスト」なるものがある。小さい時にはロールキャベツテストと良く読み間違えていた、アレだ(当方だけか)。で、「シン・ゴジラ」はまさにそのテストに近いような趣を持っている感がある。「ロールシャッハ・ゴジラ」はまさに、それを意味する言葉......というのはどうだろうか。自己満足っぽいけど、あながち間違っては無いような気がする。
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