大人の社会をかしこく渡り歩くための知識、結構あるよね

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先日の【家庭科から日常生活科とか常識科へ】の後日談的な話。そういやこの類の「日常生活で必要となる社会の色々な常識」の類って、本屋の実用書コーナーに冠婚葬祭やら日々の生活のアイディア集的な感じで書籍化されているものも結構あるよなあ......と思い返していたところ、教育課程で教えていないであろうことって結構あるよなあ、と。

OJT的に学べれば良いのだろうけど、近所づきあいとか親戚付き合い、教えを請えるような高齢者の同居のケースが少なくなってくると、その機会も無い。

この類の常識は不変に近いものと、非常に流動的ですぐにながれゆくものの2タイプがあるので、前者は教育課程にぶち込む価値はあるし、有意義なものとなるのだろうけど、後者はなかなか難しい感がある。教本創っていたらその内容がすでに時代遅れにってことも多分に生じるだろう。


これは多分にお上云々だけでなく、教えられる側の反発もあるんだよね。当たり前のように思えることをわざわざレールを創って教えようと、啓蒙しようとすると「そんなのもう知ってる」「バカにするな」と反発される。だから機械的にぶち込むしかない。反発するのは知っているからこそ反発できるのであり、知らない人は反発すらできない。

他方、大人の立場から見ると、教えるべき立場にあるはずの大人たちが、「自分達は知っている、常識なのだから、子供達も知っている『はずだ』」「自分達は自力で学んだのだから子供達も学べる・学んでいる『はずだ』」的な思い込みがある。自分の経験則が部下とか子供にも適用されている「はずだ」とするものは、例えば大学の学費をアルバイトでまかなえる「はずだ」論とか、ローンを組めば自動車を買える「はずだ」的なものが良い例かと。車の場合は必要度合いが低下しているのも一因だけど。


暮らしていくのに必要な「常識」が、昔と今とでは桁違いに増えているのも、教育課程内で日常生活上のあれこれを教え説く必要性が増していること、そして昔のボリュームで「自分で覚えろ」と主張する大人が多分にいる理由なのだろうなあ、と。

そしてこれは、以前家庭科の教科書を保全しておくべきだとする話の時にも触れたと思うのだけど、現時点での日常生活、社会の中でのルールを明文化し教本とすることで、後世までに語り伝えられる資料としての価値も出てくるはず。長期的なプロジェクトとして、どこか立ち上げてくれないかなあ......。編集サイドの偏りで中身が腐ってしまった「現代用語の基礎知識」では無くて。

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このページは、不破雷蔵が2016年8月30日 06:46に書いた記事です。

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