パロディとパクリとオマージュの違いも曖昧ですが、作り手側の意図から考えると一目瞭然。読者に元ネタを是非知っててほしいのがパロディ、絶対知られたくないのがパクリ、知ってるとより楽しめるけど知らなくとも問題ないよというのがオマージュ。
— 海野螢 (@unnohotaru) 2012年6月7日
なんとなく見ていたけれども、以前に某先生が言ってた線引き、
— 磨伸映一郎@『氷室の天地』9巻発売中 (@eiitirou) 2016年8月29日
パクリ=元ネタを読者に知られると困るよ!
オマージュ=元ネタ知ってると更に面白いと思ってもらえるよ!
パロディ=元ネタ知って!!むしろ解って!!!
これを間違えるととんでもない事態に陥るということだよなぁ、と。
似たような話は以前取り上げた記憶もあるのだけど。当方は絵を描くたちではないので、直接関係は無いかな......と思ったけれど、自分が読んでいる本とか作品集の中で、時折「これはパクリだ」と糾弾されてしまう事例があり、パクリとそうでないものの境界線ってなんだろうと思い返す機会とか、文章の中でも類似事案は少なからずあるので、やはり覚え書きはしておいた方がいいのだろうなあ、と。
パクリは元ネタが存在すること、それをトレース的に用いていることを知られたら困る。コピペみたいなもの。オマージュは言葉の元々の意味の通り、元ネタに敬意を示し、その上で味わうと色々と、一層ニヤリとできるもの。パロディは元ネタが分かるのが半ば以上に前提となっているもの。オマージュは元ネタが分からなくても楽しいけれど、分かるとさらに楽しい。でもパロディは元ネタが分からないと楽しさが理解できないってのも結構ある、というかその方が多いかも。
ただ、パロディの中には楽しみ云々では無くて風刺として使われることも多々あるし(オマージュでもそこまで見通してのものもある)、パクリもトレース云々の話で見た限りにおいては「それは果たしてパクリといえるのか」というものもあって、オマージュやパロディとはまた別の境界線的なものが曖昧になっている感じはする。
文章の場合も他所のコピペは言語道断ではあるけれど、引用との兼ね合いとか、やはり境界線が色々と難しいような気がする。むしろそのようなきわどい部分を気にしなくても良いように、上記の定義をしっかりと見極めて、パロディやオマージュを成すようにすればよいのかな。
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