奨学金と学習の機会と

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奨学金周りの話はこれまでにも何度か触れているけれど、どうも叩く側の動きが色々と奇妙な香りがしているので、しばしば覚書をして考えをまとめたりしている。保育園周りの動きとパターンや動く界隈が似ているし、問題のそらし方も類似しているんだよね。

まず、日本で一番大きな規模の奨学金団体、日本学生支援機構のモノだけが叩かれているのが妙。貸与型奨学金はそれだけに限らず、大学などで展開しているのも多分にある。そして貸与であると説明せずに貸与しているのかというとそうでは無く、認識した上で返せなくなったとして、学習の機会は平等になどとの話を絡めている。

「奨学金は無償、返還不要のものにのみ名付けるべきだ。この言い回しで騙されているのかも」。法令で決まっている訳ではないけれど、そう主張する界隈もある。ただそれを主張すると「ならば名前を変えれば、今反発している界隈は何も言えなくなりますよ」となることに気が付いているのだろうか。


で、貸与型も給付型も奨学金制度は山ほどあるし、学習する機会も山ほどある。憲法など教育の指標として保証されているのは学習する機会であり、特定大学の特定学部に入学し教鞭を受ける権利では無い。「自分は学力も資産も無いけれど、それでも東大の法学部に入部したい」というのは無理難題。お金があっても学力が無ければ望みの大学には行けないし、学力があれば給付型の奨学金を得られる機会はいくらでも用意されている。そして指摘されているように、大学も含め、学べる機会はたくさん用意されている。

「大学を卒業していないとまともな職に就けない。だから一般の大学は義務教育みたいなものだから、学費は無償に」との意見もある。みたいなもの、と事実を一緒にされても困るし、それでは一般の大学以外を最終学歴としている人を侮蔑していることになる。しかもそれ、学習する機会は均等に云々とは別問題でしかない。

どうも奨学金周りで反発している界隈の話を聴くと、色々な問題をごちゃごちゃにして、それをイデオロギーで塗り固めてボールにして、そのボールをやみくもに投げているだけって感じなんだよね。

大学に就学する費用がうなぎ上りなのは事実で、昔のようにアルバイトだけでまかなえる時代では無くなっているのは間違いない。他方、それが暴利をむさぼるためのものでは無く(以前も触れたけど、どう考えてもこの人物を公費や授業料で支える必要など無い的な関係者を抱え続けているのは問題だけど)、必要だから授業料が上昇しているのも事実。

多分に踊らされているような感があるので、詭弁の類がちらほら見受けられるので、奨学金の話は慎重に見据えていきたいところ。

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このページは、不破雷蔵が2016年9月 1日 08:14に書いた記事です。

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