これに絡んで。直近2016年度の高等教育機関への入学状況。大学入学者は大よそ5割。その他機関が3割、そしてその他(多分に就職)が2割。 pic.twitter.com/hGwi7p2D53
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年9月3日
先日から学校基本調査の更新データを基に各種記事の更新を本家サイトで行っていることもあり、大学周りの話が色々と目に留まる......というかついつい目にしてしまう。学業の機会を得ることと、特定の大学に入学することと、大学に入ることと、就職に有利となることとが全部ごっちゃになっていて、そのごちゃごちゃにした玉を奨学金周りの問題にぶつけている感じ。畳み掛けるように強弁されると反論するどころか考える間もないので、ついついうなだれてしまうのだけど、よくよく考えればおかしな話。
で、上のグラフは学校基本調査から抽出した、18歳......だから、高校卒業者に該当する年齢の人口における、各学校への入学状況。「その他」ってのは浪人とか就職とかもろもろ。大学入学は5割程度。と、なると「大学に入らなければ人生終わり」的な人の主張は「18歳時点で半数近い人の人生は終わりなの?」とのツッコミが出来てしまう。なにそれ。
就職率動向も合わせ考えると、「大学に入らないと就職できない、大学は義務教育みたいなものだ」との意見への妥当性は今一つかな、という感じはする。大卒と就職の関連は一部の大学を除けば勲章としての価値はさほどあるとは思えない。むしろ「大卒」を勲章として程度で考えて入学、卒業して就業しても、その勲章に振り回されるのがオチ。台座を使って足場をちょっと底上げしても、そこから背伸びしようとしたり手を伸ばさなければ、バナナは手に入らない。大学は学び舎であり、就職のための猿の腰掛けでは無い。
むしろ、今は、職人の方が食べていけるんですよ。Fラン大学で勉強してホワイトカラーの最底辺でもがくより、早めに手に職を付ける方がいいんですよ。先進国で起きているのは「過剰学歴問題」だと言っても過言ではないと思います。
— NKPMとイッパイアッテナ (@KPtan2) 2015年3月23日
@KPtan2 「町の技術屋さん」みたいな職業は就業者の高齢化・引退もあって引っ張りだこですよね。知人の水道屋さんは電話が鳴り止まないそうです。
— コンドー (@s_kondoh) 2015年3月24日
そういう分野のうち「低スキル部分」についてビジネスモデル化したのが「便利屋さん」なんですよね。 RT @s_kondoh 「町の技術屋さん」みたいな職業は就業者の高齢化・引退もあって引っ張りだこですよね。知人の水道屋さんは電話が鳴り止まないそうです。
— NKPMとイッパイアッテナ (@KPtan2) 2015年3月24日
@KPtan2 @tak341 これは実感しますね。塾で教えているのですが、高等教育に進むよりも手に職つける方が向いている生徒がたくさんいます。昔は彼らに十分職があったのでしょうが。。。
— なかじぃ (@eberbachyoshi) 2016年9月1日
これも一例でありすべてに通用するわけではないけど、確かに納得ができる部分もある。そういや「便利屋さん」的なチラシやポスターを見かける頻度は、確実に増えている。果たしてどこまで効果があるのかは別として。インターネット周りでは(自分で検索をしていないこともあり)あまり見かけないのは、ネットをそれほど使わない層に向けたもので、そして地域密着型のビジネスモデルだからなのだろう。
このような状況が永遠に続くとは限らないけれど、少なくとも「大学に入りさえすれば何でもOK」的な風潮と、その風潮を振りかざした主張は通用しないのが現状。大学に入って高等レベルでの基本的な学問を学び、さらに自分の相性に合った、学ぶべきと判断した事柄に傾倒していく。
大学に入っても高校レベルの学力が十分に見についていない生徒が多分にいるとの話も多々聞くようになったけど、入学試験の意味がどこまであるのかな、という感はある。あるいは米国の大学のように、入るのはたやすいけどすぐにばっさりと落としていくので卒業は難しいよ的な方策にがっつりと切り替えるべきなんだろうな。「高校程度の学力が無い」とした時に「ならば大学で高校の勉強を」ではなく「ならばお前たちは退学」としなきゃならないのだろう。それが出来ていないからこそ、大学卒という勲章は、一部大学を除けばブリキの勲章となってしまっているのだろうな。
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