コピペした学生の「取り調べ」をすると、「コピペがダメなんて習わなかった」という学生がいる。なので近年は「コピペはダメ」というのを授業を使って指導する、ということになった。ところがそうなると「その回の授業を休んでいたので聞いてなかった」という学生が出てきたりしてもうカオスである。
— desean takahashi (@desean97) 2016年5月23日
教えてもらっていないからやっても仕方がない、とするお話。このツイート自身のレスややりとりは、それはそれで興味深い内容ではあるのだけど、今件ではそれはとりあえず脇においといて。本能で無い限り教わっていなければ知りようが無いというのは一理あるのだけど。
人は経験の蓄積と推測ができる生物でもあるので、それらを上手く掘り起し活用すれば、習っていなくてもヤバいかな、という気配を覚えることはできる。以前、カニを無邪気にいじっていたら思いっきり挟まれて痛い経験をしていれば、似たようなハサミを持つザリガニをはじめて見ても「これはヤバいカモ」と思える次第。初めて見た食べ物に妙な香りがして、その香りは以前自分が腹を壊した腐りものだったと思い起こせれば、「これはもしかして腐っている?」と推定が出来る。
人はそれぞれの具体的パターンをしっかりと覚えていれば、それに対応はできるけど、世の中に起きうる事象全てを経験して取得する、あるいは学習して覚えるのは不可能。いくつかのテンプレート、方式、要素を覚え、脳内で組み合わせたり近しいものを手繰り寄せたり、フックをひっかけて、そうかもしれないという推測を瞬時に行う必要がある。
人の活動は多分にこれの繰り替えし。しかも今後一層重要視されるのはこの「察知力」「検索力」「確認力」かな、という感はある。「調べた方がいいような」との雰囲気を察し、検索(ネットでも自分の記憶でも良い)をして正しい情報を取得し、それを正しいと確認できるか判断する能力。
@Fuwarin その「アンテナ」の感度を高めるには、結局自分自身の知識量を増やすしかないんですよね。(たとえ忘れても、「あれ?これどっかで見たな」という嗅覚を持つことはできますから)
— 眠る羊 (@sleep_sheep2010) 2016年9月4日
そのための勉強でもありますね(°ω°) 科学の知識が浅いとエセ科学にだまされやすいとか。https://t.co/n4aX0g9vdX
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年9月4日
ただ、それを成すには、できるだけ多くのアンテナを用意し、そのアンテナの感度を高める必要がある。それには結局自分の知識量を増やすしかない。ある方面の専門家が得てして日常生活の話には疎いのは、そのアンテナの整備を自分自身の関心事に注力してしまっているからに他ならない。
そしてそのためにも必要なのが、日頃からの勉強......というか学習。興味関心好奇心を積極的に抱き、色々なものにアタックしていく。それにより記憶の多様な部分が活性化されていく。運動ならば腹筋をひたすらするだけじゃなく、屈伸とかマラソンとかバーベルとか色々な運動をしていくようなもの。
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