「いじる」は「人の欠点やミスや差異を誇張して笑いものにする」行為です。なので対象者にそれを上回るメリットがあり、かつ同意がある場合以外は「虐待」です。お笑い芸人がいじられる事を受入れる事が多いのは「笑いが取れる=芸人としてメリット」だからで一般人には虐待以外の何物でもありません。
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2016年9月14日
いじられキャラで周囲に認識され本人もそれを納得している一般人は、いじられる事で受けるメリットがある=芸人と同じ位置です。「やりすぎなきゃいい」というのは「怪我しなきゃ殴っていい」と言っているのと同じです。いじりが虐待でないのは、あくまで「本人が納得して受入れている場合」のみです。
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2016年9月14日
虐待、暴力・攻撃行為と「いじる」行為。行為を成す側は往々にして「いじってるだけだから、特に悪気は無かった」的な弁明をすることがある。某業界での「かわいがり」とか、「遊んでいるだけ」「じゃれているだけ」、多少の悪意が含まれるけど軽い気持ちで的には「いじめ」「からかう」などが該当するかな。ともあれ、表現を変えることで非難されるような行為を正当化する姿勢はそこかしこに見受けられる。
よくテレビなどのバラエティで、芸能人同士によるいじり行為が出て来るけれど、あれは番組の構成内でのネタであり、いわばドラマの中のワンシーン的なもの。その瞬間は確実にいじられる方、攻撃をされる方にスポットライトが当たるため、その方にもメリットが生じることになる。指摘の通り、いじられる側は一方的に損をするのではなく、相応、それ以上にメリットが生じる。しかもそれを成して良いとの許諾もある。だからこそ、受け入れられる。
ボケとツッコミにおけるボケ側が良い例。また、状況はまったく別だけど、手術も良い例かな。大金を支払い、体にメスを入れられて、色々といじられるけれど、病理を取り払い、体の調子を元に戻してもらえるからこそ、了承することになる。これが大金を取られて自分の同意なしに体をいじられ、しかも体の調子が良くなる、病理が取られるわけでなければ、誰も首を縦に振るはずもない。
「いじる」的行為をしている、そう自認することで、相手への虐待、攻撃的行為を正当化するようなケースは多々見受けられる。いじめ問題が発覚した後の学校で、加害者側や教師陣が「遊び、ふざけていたと思ってた」「いじめではなく、単なる交流の中でのいじり的行為だった」と説明するのとニュアンス的には似ている。
指摘にもある通り、「いじる」が自他共に、特に対象にとって許容されるのは、対象にもいじられて生じるデメリット以上のメリットがあり、さらに本人が納得して受け入れている場合にのみ限られる。当然、違法・不法行為は問題外。
「いじる」と「いじめ」はひと文字しか違わない。でも中身は随分と違う......というより別もの。シンプルではあるけれど、認識しておくことをお薦めする。
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