「公開していないのが悪い」
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年9月18日
『だれでも自由に、ネット上からも閲覧できる公開議事録に記載されていますが』
「俺が知らなかったのだから、公開していないのも同じだ」
『......』
的な事案が豊洲関連でとの指摘。この「俺」の部分は一部の一般の人々だけでなく、報道界隈や「有識者」な人達も。
例の某代表議員の不法状態継続・不誠実公知問題と合わせ、色々な意味でリトマス試験紙的なものとなっているなあと感じさせる豊洲市場問題。深く突っ込むのは現時点では止めておくけれど、先日ある要点に関して市井の人だけでなく主要報道媒体においても、公開情報として不特定多数が容易に確認できる情報に関して、伝えられていない、隠蔽されている、存在しない的な話が報じられ、まさに「お前は何を言ってるんだ」的状態となっていることがあった。
で、それに関してツッコミが入ると、何も聞いていなかったかのように「公開されていない」を繰り返すケース以外に、上のように「自分が知らなかったのだから非公開と同じである」的な流れがあり、ああ、絶句ってまさにこのような状態なのだなあという気分を味わう羽目になった。
「XXは隠されてる」と主張する相手には九割九分「少し検索するだけでも簡単に公開されてる情報が出てきますよ」というオチで、それを指摘すると、こちらだけに無限に資料提示を求める/真の情報は隠されてる/逆上する https://t.co/2wyX1pYjPq @Fuwarin
— ut_ken (@ut_ken) 2016年9月18日
逆のパターンで歴史方面では特に、新聞などが「新事実の判明」とかいうキャッチコピーで伝えているものは、その多分が「すでに知られている話で、伝え手側が知らなかっただけ」だったりする。そして指摘されている通り、隠蔽とか未確認だったものではなく、不特定多数が容易に入手できる情報で、それはあなたが知らなかっただけです、調べ足りなかったのでしょうとのツッコミを入れると、大よそ上記のパターンになる。あとは耳をふさぐとかね。
情報量が課題になって精査にリソースが大量に必要になるのは事実。だからこそ精査しきれない部分を第三者が指摘し、その部分を指し示してくれれば、それにチェックを入れることで、手間が省けるし、むしろありがたいお話......のはずなんだけどね。
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