良い人材はほしいけれど給金は出せないという矛盾を解決するための「対策」がさらなる状況悪化につながる

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この類の話は何度となく成されているはずなのだけど、経営者サイドに浸透するには至っていないようで、だからこそ繰り返されるのだなという感が。中長期的に見れば、「良い人材を相応の高給で雇い、その場に居続けることのメリットを認識し、業績に貢献してもらう。技術も蓄積される」と「人材確保のためのコストをケチって、なかなか人が集まらず、事業がうまく回らない。人材はたまに来ても経験が浅い、能力が低いなどで修練させるのに大きなコストが必要になるし、定着率も低いので修練コストは無駄になりがちだし、求人コストもかかるし、技術も蓄積されない」と、どらちが良いのかは一目瞭然ではあるのだけど。目の前のコストばかりをみているのだろうな、と。

何をやるにもお金がない、お金は出さないが第一義的、最優先条項に挙がっていて、その上でどうすべきかってことになっているのだけど、大体本質的には、その点こそがもっとも最初に手掛けるべきなのが現状だったりする。無論、そういうところばかり、とは言わないし、そんなことはないのだけど。


団塊世代オンリーというわけではないけれど、このお金に対する忌避感...というかけがれ意識ってのは当方も繰り返し指摘している件。お金に注目している人は卑しい、魂が汚れている、人として劣っている、といった認識。

一方でそのような人『それならあなたもお金は要らないのですね。あなたの報酬を全額私に下さい』なんて話をすると、たいていは逆切れされる。でもお金が欲しいのなら、自身の主張の通りなら、その人自身が熱意の無い不真面目な人であることを自分で証明していることになるのだけどね。それとも人は人、自分は自分、なのかな。


当然、お金ですべてが解決するわけではなく、お金以外の部分も整備は欠かせないのだけど、それらはいわば副次的、二次的なもので、多様な価値に転換でき、保全もできる対価としての金銭の保証・環境整備こそが、まずは重要なんだよね。

他に考えられるとすれば、2つほど。一つは以前解説した「生存バイアス」。たまたま運が良く、豪力で生き残った経営サイドが、自分が経験した道は絶対の成功方程式だと断じて、それを他にも当てはめようとするケース。そしてもう一つが、かつて自身が当時の経営陣などから受けた施策を中途半端、かつ都合のよい部分だけ覚え、それを自身の公式化してしまったケース。前者は手の打ちようがないけれど、後者は多分に当時の経営陣による、経営者、リーダー的な人材の育成・教育不足だった感もある。

例えるなら、料理人のきらびやかな部分だけを見て、その真似だけをしたまま、調理場に立って料理をするようになってしまったような感じ。そう考えると多分に理解はできたりする。

デフレ時代ならともかく、今ではそんな話は通用しない。10年、いや20年ぐらい続いたデフレによる呪縛から、そろそろ考え方を解き放たないと。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年9月21日 08:06に書いた記事です。

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