「シン・ゴジラ」と「君の名は。」のヒットと公式ポスターで思うこと

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洋画のポスターで原作、配信の元の国や他国におけるものと、日本国内で用いられるポスターとの間では、大いにデザインが異なる、具体的には日本国内のものはくどすぎる説明で、まるで家電製品についてくる数センチもの厚さの説明書のようだ的な話はよく見聞きする。加えてデザインそのものも多分にダサいもの。美術的センスが桁違いに落ちることも少なくない。

昔はそれしか見られなかったからそういうものだろうなあ、という認識しかなかったのだけど、昨今ではネットで各国のポスターを比較できるようになったため、なにこれという声が挙がるようになった。

で、そのような変更を成す理由として挙げられるのは、過剰なまでの説明をした方が受けが良い、観客が入るから、昔実証実験をしてそのような結果が出たからというもの。

ただ、探した限りにおいてはその実証実験が具体的にどのような形で行われ、いかなる結果が出たのか、その情報は見つからない。また仮にそのような実験が行われて説明基調の方がウケが良かった、成果が出たとしても、それがいつ頃のもので、どのような映画によるものだったのかがわからない限り、その結果だけをテンプレートとしてあらゆる映画に永続的に適用させるというのは、非常におかしな話ではある。まさに過去からの習慣という亡霊に取りつかれているような。

邦画としては目を見張るヒットを放った「シン・ゴジラ」も「君の名は。」も、ポスターは極めてシンプルで、洋画にあるようなべたべたとした説明ずらりなものは無いし、ダサさも覚えない。洋画と邦画の違いはあるし、「シン・ゴジラ」に至っては元々の知名度がそれなりにあるからとの理由づけもできるけど、それでは「君の名は。」の方の説明ができない。

洋画は邦画と違って知名度が低いから。ならばそれはプロモーション全体の問題であり、ポスターにすべてを背負わせるのはおかしな話では。そしてポスターという一つの媒体にどれだけ荷を背負わせても、その告知能力には限界があるというのに。


「君の名は。」に関しては上記のように、ネタとも思えるような、洋画ポスターっぽい改変をした上で展開する実例もあった。これでどこまで印象が変わってくるのか、集客、作品そのものへのイメージに変化が生じるのか。

......これはあくまでも当方の所感であり、裏付けは何もないのだけど。ゲームやビジネス系のソフト、さらには家電商品などでもよく見かけるパターンで。実際に使う際にはほとんど意味のない、むしろ役に立たない、それのせいで安定性が落ちたり価格が上昇するのなら、正直いらないという感じの機能やらスペック拡張に関して、営業や広報から強力なプッシュがあり、なされることが多々ある。

いわく、「スペックが倍増したとか、新機能実装とか、ポスターや宣伝に上乗せできるようなコピーがかける機能が必要なんですよ、そうでないと売れないんですよ」的な。目的と手段がすでに入れ替わっている、そんな感じ。

あるいはポスターに山盛りコピーを載せるのも、そのような流れがあるのかなあ、とか。さらには関係方面のデザイナーの仕事を創るため、ってのもあるのかもしれないなあ。しがらみというか、さ。まぁ、これも経験則的なお話で、それが事実かどうかはまた別の話なんだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2016年9月30日 08:09に書いた記事です。

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