不特定多数に情報を定期的に配信する、インフラのような報道機関にもストレステストを義務化すべし

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震災後のドタバタに紛れる形で、日本でも実働がなされてしまった原発へのストレステスト。稼働させながらの運用は絶対ダメだ、トラブルが発生するかもしれないじゃないかと声高に金切り声を挙げた報道界隈において、自身のストレステストが一切なされていないのは、確かにおかしな話に違いない。

報道って単なる映像や文字、情報の配信だから、人の生死にかかわる話じゃないし、物理的に何かを壊すわけじゃない。だからストレステストなどいらない。そのような反論をするかもしれないけれど、それは大いに間違っている。

これだけ高度な情報化社会となれば、情報は十分に人の生死を分かつ。誤報は多くの人の命を殺めるリスクがある。また、間接的に企業を破たんさせ、建築物を壊しうる。その情報による危害が生じた、生じうる誤報が成された時に、再発防止策が練られそれが実働し、さらにその体制下で誤報が生じないか否かを見極めるストレステストが実施されずに、リスクが存在しうる状態のまま、報道が続けられるのは、非常に危険性が高いと断じさるを得ない。

昨今ではむしろ、誤報はあって当然、仕方がない、指摘されてごまかしきれなくなったら「ごめんなさいね、間違えちゃった、てへぺろー」で頭をちょっと下げればそれで済む、程度の認識が報道界隈で固まっている感はある。あるいはさらに、頑なに誤報を認めず、「私たち報道は正義」的な。このような状態が他企業で続けば、間違いなく報道界隈は厳罰を求めるか、ストレステストの類を要求するだろう。識者や読者の名を借りて。

そろそろ報道自身にも、本格的なストレステストが必要な時期に来ているのではないだろうか。某新聞社の第三者委員会のようないい加減なものではなく。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月 1日 07:22に書いた記事です。

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