訂正記事も誤報記事と同様に一面で、同じかもしくは大きいポイントの活字を使い、誤った経緯を含めて記述にすべきでは。 https://t.co/EfsXAO9D0p
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2016年10月1日
新聞で誤報、虚報があった場合、公知しなければならない状況になった時にちらりと小さなスペースで「訂正」「お詫び」として、その内容が語られる。しかし間違いだった記事を読み、その内容を認識した人のうち、それに気が付く人はどれだけいることか。訂正部分だけを読んで元記事を思い起こせる人がとれほどいるか。
指摘の通り、最低でも同様の大きさの活字を用い、さらになぜ間違ったのかを伝えるべき......というのが、これまでの報道の状況で求められているレベル。本来なら、掲載された誤報の記事そのものを再度掲載し、間違った部分を赤か何かで大きく修正し、「この部分が間違ってました」とわかりやすく説明した上で、なぜその間違いが生じたのかの補足説明も加えるべきなのだけど。
ただ、今は情報の本質が相当変化しているので、それですら追いつかない。
新聞やテレビの情報、特にニュース関連は、その媒体自身のみで伝えられるにとどまらない。質や伝播性に変化が生じた以上、新聞やテレビの誤報・虚報に関しても、これまで以上にリソースを割く形での、訂正の公知ルールを変更する必要があるのかなとも思う。
例えば新聞一面で「ふわりん、無銭飲食で逮捕」な記事が出た場合、それはデータ化されてウェブ上にも乗り、さらにポータル経由で多方面に広がりを見せる。翌日、「訂正します」と小さく新聞本紙に載っても、それを見る人は滅多にいないし、ましてやウェブ上ではどこまで掲載され・伝播されるのか。下手をすると「訂正」のコーナーはウェブ上に載りすらしないかもしれない。さらに例えば半年ぐらいたって話が蒸し返された時、訂正文面は指摘されなければリンクはなされず、当方は無銭飲食者と誤認識されたままになってしまう。
「速報として伝えるのが報道の責務だから」「間違ってたっていいじゃない」的な認識が、あるいは無意識のうちに報道界隈に蔓延しており、それによって生じる悪影響がネットの普及浸透で桁違いに大きくなっていることを承知していない......というよりはむしろ悪用している感もある(誤報・虚報の類は概してインパクトのある内容なので、ビジネス的には美味しいものとなる。この極論的な存在が、悪質系まとめサイトと評しても良い)。
このあたりの体系、仕組みをしっかりと構築し、実働させないと、テレビや新聞のニュース媒体としての権威は、今まで以上に堕ちていくに違いない。
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