大統領選挙で「女性蔑視の発言繰り返す」なるニュースを目にして。そういえば「男性蔑視の発言」って、そのものも結構よく見かけますけど、問題視されることはないですよね。というか性に限らず「仕方がない、覆しようがない」状況に対する蔑視は原則アウト。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月2日
アメリカ合衆国の大統領選挙は今や都知事選以上の罰ゲーム状態な感があり、同国の各調査機関も色々と苦虫かみつぶし状態的な言及がそこかしこに見られたりする。もう少しまともな候補者が立つ環境は無かったのか、色々な意味でのひずみが現大統領で増殖された結果なのだろうなあ、とか、色々と思うところはあるのだけど。
その大統領選の候補者同士の争いの中で、先日「女性蔑視の発言繰り返す」なるコピーがニュースに踊っていた。詳細はさておき、この言い回し自体にちょっと首をかしげることが。
「女性蔑視の発言繰り返す」という伝え方には、「女性蔑視」は良くない、してはならないことだというのが前提となっている。それは間違いがない。よほどの特殊事例でない限り、女性が女性であることはくつがえしようがないもので、それを元ネタに誹謗中傷をされても、状況の変化を成すことは不可能だからだ。また、女性蔑視は女性そのものの状況を悪しきものだとの認識をも意味する。それは理不尽にして非合理的な話。
他方、相対する属性として男性が当然存在するのだけど、「男性蔑視」なる言葉が非難の対象として挙がることは滅多にない。男性という性そのもの、あるいはそれに連動する属性、習性、特性が揶揄の対象に挙がったとしても、それを「女性蔑視」の言い回しの時のように非難されることは無い。さらには論理的でない女性の底上げ・悪用による相対的な男性差別、例えば先日話題に登った「女性の壁」もまた、性別における蔑視、差別として非難されるような話は持ち上がらない。ある意味、これもまた、性別における差別(区別ではなく)なのだろうなあ、と。
性別に限らず。本人の意図で成された結果で、その対象が問題視されるもの、悪しきものならともかく、本人には手の打ちようが無い、どうにもならない、そして本人の意図しない結果によるものならば、「女性蔑視」に限らず、蔑視の対象とするのは(相対的なケースも合わせ)、おかしなものであることに違いはあるまい。
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