国立大学の運営費交付金を削除し続けてもノーベル賞を続々と獲るではないか、などと思わないで下さいよ > 財務省&文科省殿
— 大石雅寿(個人としての発言) (@mo0210) 2016年10月3日
先日の日本人のノーベル賞受賞を受けて、その研究はまだ大学へのリソース投入が現在よりもまともだったころの話とか、現状ではただですら厳しいのに「今ノーベル賞を取れたのだから、今後はもっと減らしても大丈夫だよね」とかいいだすのではないかとの心配が多分に目に留まる。リソースを投入してすぐに結果が出るのならその発想もアリだけど、時間をかけて結果が出るものに対し、単年や数年レベルでの対応は頭が悪すぎる。
でもまあ、大隅先生が駒場にいらした頃、自分も学生だった80年代でも、既に大学予算のジリ貧は深刻化していた。よく遊びに行った理学部2号館(バイオ系)の研究室ではガラス器具が足りない分は、ウイスキーの角瓶を洗浄して使っていたからなあ。東大でもそんな感じだった。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2016年10月3日
基礎研究が役に立つのはうんと先の話だから、30年、50年先ぐらいにその投資が返ってくるというくらいの感覚でいないと「今すぐ使えない研究はやめちまえ」になる。しかしマグロと同じで、成魚になって帰ってくるのは数万個の卵から2,3匹だからといって最初から3個しか産まなきゃ絶滅するわな。
— Sunrise (@Tech_JP) 2016年10月3日
「かつては研究費が潤沢で環境がよかった」というツイートを見るが、俺が聞いた限りでは研究費が潤沢だったことなどなかった。ただ時間はあったそうだ。じっくり考える時間、工夫する時間、腰を据えて研究する時間。
— Kosuke Sawa (@kosukesa) 2016年10月3日
というか、「今、評価されている研究」がいつ頃にどれだけの予算を得られて教員がどれだけ研究に専念できる状態でなされたものなのか、ちゃんと考えるべきなんだけどね。
— KGN (@KGN_works) 2016年10月3日
財務省は超短期記憶しか持ち合わせてないから、そんなの考えるのは無理ですかね?
電磁誘導の実験展示の後、
— KGN (@KGN_works) 2016年10月3日
「それで、あなたの実験がなんの役に立ちますの?」
と聞かれたので
「生まれたての赤ん坊が、なんの役に立ちますか?」
と答えた、というおはなしが伝わっておりますが。
たいていの研究ってこういうものでしょうねえ...100やらせてもすぐに効果が見えるのは少数。
少ない費用でやりくりしろと言うなら、『時間』は潤沢に与えろとね。
— KGN (@KGN_works) 2016年10月3日
少なくとも、雑用を教員にさせてはいけない。事務方にもっと仕事を振れと。
たねをまこう 今は役にはたたないけれど
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年10月3日
気を付けよう くさったたねをまく輩
ただ、当方も過去にいくつか資料を当たった限りでは、大学への研究リソースの投入の不足ぶりは昔からのようで。程度の差はあるだろうけど。ガラス容器周りの逸話はどこかの週刊誌で資料として提示されていたのを読んだ記憶もある。
もっとも、予算不足の度合いは別にして、時間が不足しているとの意見は多い。雑用に時間を取られてしまうのは、結局のところ雑用を回せるリソースが不足しているため。事務員なり助手を雇えれば、そちらに雑用を回し、研究に没頭できる。これ、お金が足りなくなってきたときの中小企業の問題と同じね。金策に時間と手間を取られて、技術者や経営者が本来の能力を発揮する機会を失ってしまう。
他人ができることは、その他人に任せればよい。本人にしかできないことをできる限りのリソースでやりつくしてもらうことで、色々な可能性が出てくる。研究組織の研究員に対外アピールのスキルをも求めたり、収益の勘案をしろ、できなければ首だというのは、極論・暴論でしかなく、そのような状況だった場合には「収益勘案をするスタッフを増員しましょう」「広報スタッフをつけましょう」としなければならない。
今この時期ではなく、将来を見据えて。時系列的な物事の考え方が必要不可欠なんだけどね。
たねをまこう 今は役にはたたないけれど。
気を付けよう くさったたねをまく輩(やから)。
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