報道や銀行が社会的責務、存在意義たる義務を果たしていないのが今の社会的問題の要因かも

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日銀の金利政策で銀行の「黙って日銀に預けていてれば事実上ノーリスクで利益を得られるから安心安心」的な状況が続かなくなって、ならば本来の責務、存在意義である金貸し業務に精を出すかなと思ったら、あちこちのサービスを縮小して暗に「日銀が悪い」的なことを伝えるあたり、報道界隈が語る「悪質な既得権益」「利権構造にどっぷりとはまった悪徳企業」とどこが違うのだろうかという認識を覚えつつ。

指摘の通り、バブル崩壊後の猛烈な貸しはがし、貸し渋りは歴史にも多分に記録されている通りで、ちょいと探すだけで理不尽な対応を受けた企業側の怨嗟の声がもりもり出てくる。「銀行自身がコケるよりは仕方ないじゃん」との反論もあるだろうけど、明らかにやりすぎと、自責を借り手に負いかぶせすぎたのは否定できまい。そしてその過程で顧客層からの信頼を壊滅的に失ってしまったこと、さらには自分たちの責務、存在意義をも忘れてしまったことにすら気が付いていない。

麻生大臣の言及は、ざっとまとめると「いつまでもさぼってないで、本来の仕事をしろ」ということに他ならない。日銀のマイナス金利よりもさらに直接的表現。信頼を失ったのならば、それを回復させるための体制づくりをして、それを継続するだけの仕組みを作り公開し、それを順守することを顧客層が信頼するまで、努力を続ける必要がある。それが出来なきゃ、自分たちの存在意義が果たせないのだから、存在する価値は無い。

銀行にせよ報道にせよ、社会全体に大きな影響を与える業界全体が、本来成すべきこと、社会的存在意義への注力をなまけ、他方面に積極性を見せていたり、さらには自分たちの核心的利益のために「社会的意義を有している公器だからこそ与えられている特権」を悪用し、好き勝手にやっているのが、日本全体の閉そく感の小さからぬ要因なのかなあ、という気はする。

社会全体の維持発展のために必要なことを委任しているので、それがしやすいように与えられた特権を好き勝手に使い、本来の責務はおざなりにされている。それでは社会全体が回りにくくなっているのも仕方がない。心臓が色々と気を使われているにも関わらず、十分な血液を他に送らない、巡回させていないのと同じ。

要は銀行にしても報道にしても、「責務を果たせ、さもなくば存在意義は無い」というところなんだよね。

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このページは、不破雷蔵が2016年10月 6日 07:32に書いた記事です。

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