趣味の世界でも仕事でも、専門用語とも言えない、そういう「符牒」を仲間内で使うことには、確かに一種の快感がある。あれは何なのかしらねえ(゚ω゚) ムラの仲間であること、一定の知識水準に達していることを確認して互いに安心するのか、専門家の集合に属しているんだぞという矜恃の表れなのか。
— 葛葉(レオポン㌠推し) (@Cuznoha) 2016年10月6日
特定の業界とか趣味界隈で通じた相手同士では、世間一般、該当する界隈にある程度以上精通していないとわからない、聞いたことはあるかもしれないけど理解できないキーワードや言い回しを使うことが少なくない。そしてそれを使うことに快楽を覚えるし、「分かる」的な反応をもらうとこれもまたうれしいものがある。
その行動自身や反応に喜びを覚える理由の解釈の一つとして、自分の立ち位置の再確認ができるためというのは、非常に興味深いし、納得のいく部分も多い。見方を変えると、新しい、何か格好良さげな言い回しを覚えると、やたらと使いたくなるのも、仲間入りをした、そのレベルに達したとの実感による喜びが、体現化してしまうのだろう。新しい長靴を買ったら、雨が降っていないのに履いて外に出たくなるような、そんな感じ。
他方、この「符牒」は世間一般に向けて放たれることも少なくない。意識的に、さらには無意識に使われることもある。後者ならばすでに自分の一部として浸透し融合してしまったまでの話だけど、前者の場合はアクティブソナーを放つようなもの。この符牒に反応する人は、該当する界隈にある程度興味関心理解を持つ人だよね、とか、自分と同じ趣味を持っている人が反応するだろうなあ、という期待感。
まぁ、これはあまりにも多用すると、逆に思いっきりひかれることにもなる。語った本人は気持ちよいかもしれないけど、知らない人には煙たがれる。自戒も含め、専門用語、それに近い言葉を使う機会が多い人は、要注意。
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